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横田英史の読書コーナー

「失われた20年」を超えて(世界のなかの日本経済:不確実性を超えて)

福田慎一、NTT出版

2015.8.18  10:35 am

 1980年代のバブル崩壊後、日本経済は20年にわたる低迷に陥った。本書は1990年代の失われた10年と2000年代のもう一つの失われた10年をトータルで検証し、日本経済を長期停滞させた病巣やそれを解決するための方策に迫っている。筆者が強く主張するのが、1990年代と2000年代を連続的に検証することの重要性である。連続性に注目することが、日本の長期低迷の真因を探るうえで鍵になるという。納得性の高い議論を展開しており読み応えがある。同じ誤りを繰り返さないためにも、一読をお薦めしたい。
 筆者は、バブル崩壊後の90年代における不良債権処理の遅れが、2000年代に生産性の伸び悩みやデフレにつながったと主張する。背景には政府や銀行の先送り体質があり、責任の所在を曖昧にすることで事態の解決を遅らせた。とりわけ政府の対応は「少なすぎて遅すぎる」ものだった。
 読み応え十分なのは、先送り体質の弊害を新生銀行(旧長銀)とあおぞら銀行(旧日債銀)の顧客企業の業績を比較することで明らかにしているところ。あおぞら銀行は日本の伝統的な企業慣行を踏襲し、問題企業を存続させた。この結果、倒産件数と倒産負債総額は高止まりし、本来は健全なはずの顧客企業の市場価値も高まらない状況に陥った。一方で米国流ショック療法をとった長銀の場合、存続企業の株価には顕著な上昇が見られた。ショック療法は存続企業の収益性にとって大きなプラスとなった。
 2000年代に入って短期間に不良債権処理を行おうとした結果、企業経営者は賃金カットに加え、研究開発費や設備投資を削減することで、当面の利益を確保する方向に舵を切った。例えば、バブル期の過剰な設備投資は更新されないまま放置され、2000年代になると老朽化した資本ストックとして生産性を低下させ、成長の妨げとなった。このため不良債権処理は進展したものの、日本企業の価値競争力は徐々に低下した。
 モノづくり神話が、低迷を長引かせたという指摘も興味深い。製造業の大企業の場合、大幅な赤字決算になっても、いつかは復活するという根拠のない思い込みで、倒産などのショック療法はとられなかった。しかし製造業の付加価値は、デザインやソフトなどサービス業に近い分野に移っており、新しい時代の価格競争力強化に向けた構造改革への取り組みが求められていた。そうしたなかでの銀行の追い貸しによる問題先送りは、競争力を失ったモノづくり企業を延命させるだけではなく、市場に過当競争を生み出すことで効率的な企業の生産性さえも低下させる事態を招いた。

書籍情報

「失われた20年」を超えて(世界のなかの日本経済:不確実性を超えて)

福田慎一、NTT出版、p.274、¥2484

横田 英史 (yokota@et-lab.biz)

1956年大阪生まれ。1980年京都大学工学部電気工学科卒。1982年京都大学工学研究科修了。
川崎重工業技術開発本部でのエンジニア経験を経て、1986年日経マグロウヒル(現日経BP社)に入社。日経エレクトロニクス記者、同副編集長、BizIT(現ITPro)編集長を経て、2001年11月日経コンピュータ編集長に就任。2003年3月発行人を兼務。
2004年11月、日経バイト発行人兼編集長。その後、日経BP社執行役員を経て、 2013年1月、日経BPコンサルティング取締役、2016年日経BPソリューションズ代表取締役に就任。2018年3月退任。
2018年4月から日経BP社に戻り、 日経BP総合研究所 グリーンテックラボ 主席研究員、2018年10月退社。2018年11月ETラボ代表、2019年6月一般社団法人組込みシステム技術協会(JASA)理事、現在に至る。
記者時代の専門分野は、コンピュータ・アーキテクチャ、コンピュータ・ハードウエア、OS、ハードディスク装置、組込み制御、知的財産権、環境問題など。

*本書評の内容は横田個人の意見であり、所属する企業の見解とは関係がありません。