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2006年12月

迷いと決断〜ソニーと格闘した10年の記録
出井伸之、新潮新書、p.218、\700

2006.12.26

 残念ながら出井伸之らしい切れ味が見られない平凡な出来。ソニーの経営者として毀誉褒貶の激しかった出井を引っ張り出して、弁明(?)させたことが最大の特徴の書といえそうだ。実際、ソニーへの愛憎が文章のそこかしこに表れている。
 求心力の強かった創業世代(井深・盛田・岩間・大賀)を継いだ自分は、「プロフェッショナルの経営者」というのが出井自身の見立てである。そのプロフェッショナルが力を発揮できなかったのは、ソニーの抱える古いDNAと、短期的にしかビジネスを判断しないマスコミを含めた日本社会ということになる。広報宣伝を担当していたこともあって、コンセプトやトレンドを打ち出す出井の力は相当なものである。経営にエンジニアリング的な考え方を導入しようと試みたところも評価できる。ただしプロフェッショナルとしての経営手法を開陳するには、新書という枠組みは紙幅が十分でなかったようだ。
 出井の経営者としての問題はコンセプトと米国流の経営手法を十分には実装できなかったことにある。経営者が結果で判断される以上、出井の現在の評価も仕方がない面がある。もっとも、本人の問題なのか、周りに適切な人材を配せなかったソニーの問題なのかよく分からないが・・・。

 

テロルの真犯人
加藤紘一、講談社、p.238、\1500

2006.12.24

 自宅を放火された加藤紘一が原因を「時代に空気」に求め、その背景を書き綴った書。正直なところ物足りない。日本の政治家の著作は読んで後悔するものが少なくないが本書もその一つといえそうだ。ただし、宣伝臭さが薄いのと、多分ゴーストライターではなく自ら書いているらしいのが救いである。外務省時代の加藤の話もそこそこ興味深い。
 自らの生い立ちを振り返る部分や靖国神社関連の単なる説明文のような記述に多くのページを割いており、切り口がボンヤリしてよく見えない。全体として、日本経済新聞の「私の履歴書」のために用意していた原稿を大放出したような感じである。テロと無理やり関連付けるよりも、履歴書として書いたほうが竜頭蛇尾に陥ることがなく良かったかもしれない。

 

ビジョナリーカンパニー〜時代を超える生存の原則
ジェームズ・C・コリンズ、ジェリー・I・ポラス、山岡洋一訳、日経BP社、p.469、\1942

2006.12.21

 ビジネス書としてはつとに有名。経営者、特にベンチャー系の経営者が座右の書として挙げることが多い。残念なことに、評者の書棚でずっと埋もれていた。雨でずぶぬれになったのをキッカケに手に取ることにした。
 本書が執筆された10年前の企業評価と現在の状況を比較しながら読むのはなかなかスリリングである。HPのように幹部に対する盗聴でミソをつけたところもあるが(その代わりコンピュータ・メーカとしてはIBMを抜いてトップに立った)、継続性のある組織体制(アーキテクチャ)を重視する「時代を超える生存の原則」はまずまず当を得ている。ちょっと長い気もするが、正月休みに向くお薦めの1冊である。

 

失敗百選〜41の原因から未来の失敗を予測〜
中尾政之、森北出版、p.382、\3600

推薦!2006.12.15

 数々の失敗事例を取り上げており、面白い本である。ただし一般書ではなく、あくまで専門書(出版社は懐かしの森北出版)なので技術用語や技術者の隠語が多く登場する。それなりの心構えを持って読まないと途中で放棄することになりかねない。ただし技術者なら、読みながら「そうそう」といった合いの手を入れたくなるような事例であふれている。途中で放り出すのは損である。
 評者はメーカー時代に危険予知訓練(KYT)という活動を行った。それを思い出すような事例が満載である。事例は機械工学関連を中心に挙げているが、機械系以外の技術者でも問題なく読みこなせるだろう。お薦めの本である。
 タイトルは失敗百選となっているが、実は事例の数は178。タイタニック号や信楽高原鉄道、コンコルドといった有名な事故のほか、トリビア的な楽しみ方ができる事例も含まれている。エンパイアステートビルに爆撃機が衝突した話(ビルは崩壊しなかった)やパトリオット・ミサイルが丸め誤差のために迎撃に失敗した話など実に興味深い。9.11で旅客機が突っ込んだWTCビルの崩壊メカニズムも本書で初めて知った。

 

インテルジェンス、武器なき戦争
手嶋龍一、佐藤優、幻冬舎新書、p.230、\740

2006.12.11

 博覧強記の元外交官・佐藤優と外交ジャーナリストの元NHK記者・手嶋龍一の対談。評者が最近注目している二人が同時に登場ということで早速購入。佐藤自身の裁判、サダム・フセインとビンラディン、イスラエルとロシアの関係、英国や米国、ロシア、イスラエルのスパイ(インテリジェンス・オフィサー)、北朝鮮問題といった話題について語り合っている。
 対談本には緊張感のない凡作が少なくないが、本書の出来は上々である。インテリジェンスの実態、したたかな計算に基づいた外交の裏側を明かしており、読ませる内容に仕上がっている。表と裏が大きく異なる国際政治や外交の舞台裏についての話には謎解きの面白さがある。外交やインテリジェンスの世界に精通した手ダレの二人の話はなかなか興味深い。ただし内容が内容だけに奥歯にモノのはさまった物言いが少なくない。せっかくの勢いが殺がれているのは残念である。
 本書を読んで感じるのは、歴史を知ることの大切さと底の浅い日本の現状である。小賢しく内向き行動原理に支配された浅慮な日本の外交とメディアに強烈な批判を加えているが、残念だが納得させられる部分が多い。

 

ライオンと蜘蛛の巣
手嶋龍一、幻冬舎、p.237、\1500

2006.12.9

「ウルトラ・ダラー」で小説家の仲間入りをした、元NHK記者の手嶋龍一のエッセイ集。政治家やインテリジェンス関連のちょっとしたエピソードは面白く、なかなか読ませる。気取った感じの文体は好き嫌いが分かれそうだが筆者は嫌いではない。活字が大きく、ページ数も少ないのであっと言う間に読める。ちょっとした時間をつぶすには最適の本である。

 

衝撃のスペースシャトル自己調査報告〜NASAは組織文化を変えられるか
澤岡昭、中災防新書、p.216、\900

2006.12.1

 NASAを題材にした失敗学/危機管理の本。なかなか読み応えがある。2003年に起こったスペーシャトル・コロンビア号の空中分解事故の事故報告書をベースに、NASAの失敗史を追う。1986年のスペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故やアポロ計画におけるアポロ1号の地上での火災事故も取り上げる。NASAが数々の事故から何を学び、どう宇宙政策を転換したかがよく分かる構成になっている。失敗で成長する国というのが、筆者の米国評である。
 コロンビア号の事故報告書が指摘したのはNASAの組織文化。「事故の背景にはNASAの組織文化がある。組織文化を変えない限り、このような事故は再び起こる」と断じている。「これまで大丈夫だったから、これからも」という論理で部品やシステムの性能や機能を落としていった姿勢、自己欺瞞にあふれ内向型で組織内政治が横行する官僚体制、関連部所間のコミュニケーションの断絶など、ダメ組織の見本のような事例である。
 評者は最近、品質を以下のように定式化して論じることが多い。すなわち、『品質=人材力*モラール*エコシステム』である(エコシステムとは、一つのプロジェクトや製品を成功に導くための協業体制のことを指している)。この三つの項目のどれかが劣化することが品質低下や事故につながる。逆にこの3項が見事に機能した例が、映画にもなった「アポロ13号の帰還」である。宇宙飛行士と管制官、スタッフの連携(エコシステム)、モラールの高さは感動的でさえある。

 

2006年11月

ナツコ〜沖縄密貿易の女王
奥野修司、文芸春秋、p.405、\2143

2006.11.29

 10月にこの書評で取り上げた「心にナイフをしのばせて」の作者・奥野修司の出世作。戦後の沖縄で起こった密貿易時代の女親分・宮城夏子を主人公にしたノンフィクション。大宅壮一ノンフィクション賞と講談社ノンフィクション賞を受けている。
 1946年から1951年までの6年にわたって、子どもから老人まで沖縄中が密貿易にかかわった時代があったという。その中心に座っていたのがナツコである。ナツコの人生を通して沖縄の戦後史を描いている。書き口は淡々としていてノンフィクションらしい出来栄えである。 。

 

社長の椅子が泣いている
加藤仁、講談社、p.499、\1900

2006.11.25

 サラリーマンとは何か、経営者とは何かを考えさせられる書。上司は選べないが、本書の主人公のように、能力・品性ともに出来の悪い上司が居座った場合にどのように処すればいいのか・・・。どこかの書評で、「せつなく、ほろ苦いノンフィクション」と評していたが正鵠を射ている。読み終えると、侘しくなってしまうような書である。主人公は日本楽器(ヤマハ)社長、ダイエー副社長、リッカー社長を歴任した河島博。兄はホンダ社長を務めた河村喜好だが、河島兄弟の交流は一服の清涼剤となっている。
 本書は日本楽器時代の河島博とワンマン社長・川上源一との確執を中心に描く。米国市場の開拓、日本楽器の社長として大きな成果を挙げたにもかかわらず、あるいは成果を挙げたからこそ、実力者の川上に疎まれるさまを周辺取材を通して克明に追っている。我が子かわいさで、社員から全く支持を受けていない愚昧な息子を社長に据えようと策謀を張り巡らし、結局、会社を傾けてしまう。それを許してしまう、愚かな社長にすりよる責任感も矜持のカケラもない役員たち。小説になりそうなダメ会社の典型を丹念な取材で明らかにしている。

 

【日本の現代】裁判と社会〜司法の「常識」再考〜
ダニエル・H・フット著、溜箭将之 訳、NTT出版、p.328、\2400

2006.11.22

 米国出身の法律家で、現在は東京大学教授を務める筆者から見た日本における司法の実像。前後半で大きく内容が異なっている。前半部は示唆に富んで興味深い。
 前半部では日本の司法に関する“常識”を疑い、真の姿を明らかにしている。気軽に裁判を起こす米国、訴訟嫌いの日本という構図が生まれた背景を、司法制度や文化面、社会面から探る。興味深い話題が多い。司法に関して固体観念に染まっている頭には、へ〜と驚かされる指摘が随所に出てくる。例えば、米国で交通事故を起こしても謝ってはいけないとよく言われる。しかし最近は「謝罪」の重要性が認められ、ずいぶん様相が変わったという実態が明らかにされる。日本で訴訟が少ないのは、損害賠償の相場が出来上がっていて(しかも実用書などを通して、世の中に広く知られている)、裁判をしてもしなくても金額が変わらないという社会的な背景があるという指摘も面白い。
 後半は裁判所による政策形成について議論する。学術的な色彩が濃く、身近な話題から少々離れる。翻訳かつ法律の話という本書の性格上、すらすら読み進められない。それなりに気合を入れないと、筋を終えなくなってしまうので要注意である。

 

ヒルズ黙示録・最終章
大鹿靖明、朝日新書、p.222、\740

2006.11.18

 この書評でも扱った「ヒルズ黙示録----検証・ライブドア」(朝日新聞社)の続編である。筆者は、前著に続きAERAの大鹿靖明記者。優秀である。公判の傍聴や周辺への丹念な取材で、ライブドア事件や村上ファンド事件のその後を活写している。「大山鳴動してネズミ一匹」といった趣のあるライブドア事件の裏側を炙り出すほか、ライブドアによるソニー買収計画やボーダフォン買収計画といった知られざる逸話も含まれていて一気に読ませる。
 ただし、話の筋が行きつ戻りつといったところが一部にある。一つの結論に無理やり導こうとせず、多角的に深層・真相を明らかにしようとする努力の跡という見方もできるが、整理不足といった印象を受けるのは少々残念である。ちょっと不思議なのは言葉遣いが少し乱暴なところ。村上ファンドを扱った「トリックスター」もうそうだったが、ヒルズ族が引き起こした事件を扱った書は必要以上に下品である。東洋経済の記者やAERAの記者にして、長らく付き合っていると相手に染まるということなのだろうか・・・
 本書が繰り返し主張しているのは東京地検特捜部の問題である。特捜部の内向きの論理や出世主義(幹部へのゴマスリ)がライブドア事件の背景にあることを証言をもとに明らかにする。検察へのすぐれた批判の書になっている。

 

情報のさばき方〜新聞記者の実戦ヒント〜
外岡秀俊、朝日新書、p.245、\720

2006.11.16

 朝日新聞の編集局長を務めるベテラン記者による情報整理術。整理術に関する書はあまり読まないが、外岡氏が執筆しているということで購入。目を開かれるような特別なヒントがあるわけではなく、正直な話、ちょっと期待はずれだった。
 収集、分析・加工、発信という観点から情報力のつけ方を解説している。豊富な事例を挙げて解説している。事例は含蓄に富む内容でなかなか読ませる。筆者は幅広い読者層を想定しているようだが、正直なところメディア以外の人に役立つかというと少々疑問である。取材の心得やインタビューに喜びなど、評者のようにメディアで働く人間からすると共感する記述が非常に多いが、普通の人がそもそも遭遇しそうもないシチュエーションが多い。

 

ターゲット・メディア主義〜雑誌礼賛〜
吉良俊彦、宣伝会議、p.291、\1800

2006.11.14

 女性誌を中心に雑誌の進むべき道を探った書。読者ターゲットを絞り込んでこそ成立する雑誌メディアの面白さを解説している。ビジネス書やコンピュータ書の分野の分類や記述に疑問点はあるが、女性誌に関する解説や、男性誌と女性誌の違いに関する分析は示唆に富む。評者は女性誌に詳しくないので勉強になった。出版社や女性誌の変遷がうまく整理されており(ヨイショのきらいもあるが)、雑誌に興味のある人や業界人にはお薦めの本である。

 

論文捏造
村松秀、中公新書、p.333、\860

推薦!2006.11.9

 読み応えのあるノンフィクション。米ベル研究所の若手研究者が、同僚や上司だけではなく、世界中の学者、サイエンスやネイチャーといった科学ジャーナリスムを欺き、ノーベル賞目前にまでなった経緯を丹念に追っている。NHKの特集番組で放送した内容を、当のディレクタが新書化したもの。番組自体も数々に賞を受賞している。この手の本は企画倒れになるケースが少なくないが、取材の質が高いこともあり出色の出来栄えである。「事実は小説よりも奇なり」を地でいったような話に仕上がっている。
 科学論文を捏造していたのは、ドイツ出身の科学者ヤン・ヘンドリック・シェーン。有機物質を用いた超伝導物質の発見で次々と高温記録を打ち立てたように見せかけた。では、どうして周囲をまんまと騙し続けることができたのか。簡単に言えば、あまりに大きな嘘だったからである。そして、実験物理学では嘘(間違い)であることを証明することに困難が伴うからである。この辺りの学者の微妙な心理を、本書は見事に描いている。かつて日本で起こった縄文土器発掘をめぐる“神の手”と同様な状況が世界レベルで発生したのである。
 そして暴いてみれば、神の手の持ち主は実に稚拙な学者だったし、次々と記録を打ち立て“マジックマシン”と呼ばれた実験装置は恐ろしく旧式だったというのもドラマチック。同時に論文に名を連ねた大学者や、次々に論文を掲載した科学ジャーナリスムの無責任さ、営利主義に走る企業の問題点にも迫っている。いろいろと考えさせられることの多い良書である。

 

「失敗をゼロにする」のウソ
飯野謙次、ソフトバンク新書、p.229、\700

2006.11.7

 このところ集中して呼んでいる失敗学の本。事例に工夫が見られ、出来は悪くない。著者はGEの技術者出身で、現在は失敗学会副会長を務めている。ただし本を書きなれていないせいか、各章の扉に掲載している格言がイマイチである。十分な効果を出していない。事例こそ興味深いが、失敗を生まないための方法論は類書と変わり映えしない。画期的な話を求めるのが土台無理なのだが・・・・。

 

格差社会〜何が問題なのか
橘木俊詔、岩波新書、p.212、\700

2006.11.4

 格差問題の権威である京都大学大学院・橘木俊詔の新刊。いつものように、統計を駆使しながら日本における格差の実態、不平等化が進む状況を描き出している。OECDは2006年に出した「対日経済審査報告書」のなかで、勤労世代(18歳から65歳)の貧困率が米国に次いで2番目に高いというデータを示しているが、本書はその流れに沿ったもの。
 橘木の著作をこの書評でも何度か取り上げてきた。「日本の経済格差」「封印される不平等」「セーフティ・ネットの経済学」「家計から見る日本経済」といったところが挙げられる。それぞれ示唆に富む内容をもった本だったが、正直なところ今回はちょっと疑問符がつく。最近の格差論議の波に乗ろうとする編集者の思惑、小泉前首相の「格差の何が悪い」発言に対する著者の反論が前面に出てしまい、インパクトはこれまでに比べ少し弱くなった感がある。
 数字の使い方に少々疑問を感じさせられるところも見られる。格差拡大の傾向を論じる書なので、統計の数字の増減に議論が集中するが、その増減がどれほどのものなのかの判断材料が不足している。例えば世帯の貧困率は、1995年の15.2%から2001年に17%に上昇しているという。この数字は大きいのか小さいのか。本書の書き口や文脈からは大きな上昇と感じられるが、通常の感覚ではたった1.8ポイントとなるだろう。数字を都合よく利用している印象をもってしまう。

 

渋滞学
西成活裕、新潮選書、p.251、\1200

2006.11.1

 なぜ渋滞が起こるのか、良い渋滞・悪い渋滞などについて、航空宇宙工学科の東京大学大学院助教授が解説した書。「渋滞学」なる研究分野があるそうだ。道路や空港、非常口、インターネットといった身近な事例を持ち出して説明しており、読ませる内容に仕上がっている。本書は新聞や週刊誌の書評欄でこのところ取り上げられているが、むべなるかな。高速道路でどの車線を走れば早く渋滞を抜けられるか、避難口の間口の大きさはどう設計したらよいのか、といった役立つ情報も多い。ただ一部に理屈っぽい部分がある。けっして難しい話ではないが、集中力が途切れていると読みこなせないので注意を要する。
 誰もが経験し、そして疑問を感じるのは、事故や工事もないのに起こり、いつの間にかなくなっている高速道路の渋滞だろう。本書は、こうした渋滞について「ASEP(asymmetric simple exclusion process)」と呼ぶ、他者を排除する近距離の相互作用を表現するモデルを使って理論的な説明を加えている。森林火災や病原菌の渋滞といった良い渋滞の話、渋滞を避けるアリの賢い習性、渋滞をうまく利用し喜びを演出するディズニーランドの仕組みといった話は、なかなか秀抜である。

 

2006年10月

世界にないものを創れ〜日本コカ・コーラ、シャープ、NECによる携帯用コンピュータ開発物語
多田則明、コスモトゥーワン、p.215、\1600

2006.10.31

 知られざる世界2番目(?)のマイクロプロセサの開発物語。世界初のマイクロプロセサといえば米インテルが開発し、1971年に発表された4004。開発者に嶋正利氏が参画していたことでも知られている。でもほぼ同時期に、日本コカ・コーラとシャープ、NECの3社が4ビットのカスタムチップの開発を行っていたことを本書は明らかにしている。20年近くもマイクロプロセサ記者としてメシを食っているが、寡聞にして知らなかった。本書の存在を知ったのも、取材先の方のおかげである。  世界2番目のマイクロプロセサは、日本コカ・コーラ担当者が持ち歩く営業端末「ビルペット」のために開発されたもの。ビルペットは空ビンや空ケースの管理、請求書や領収書の発行に使うための小型コンピュータである。計算機能のほかに、カセットを使った記録媒体、小型プリンタを搭載するなど、35年前ということを考えればかなり先進的である。このビルペットの開発をコカ・コーラから持ちかけられ、シャープがマイクロプロセサを設計した。そしてNECが製造を手がけた。NECが製造した4ビット・チップ(μPD707とμPD708)が完成したのは1971年12月のこと。4004の発表が同年11月だから、まさにタッチの差である。
 本書には、評者がかつて取材させてもらったNECの方々が登場している。実に懐かしい。インテルのノイスやホフとシャープの技術者との交流、小型プリンタのスター精密が業容を大きくするキッカケとなった逸話など、興味深い話が数多く盛り込まれており楽しく読める。半導体業界関係者にお薦めの本である。

 

トリックスター〜「村上ファンド」4444億円の闇
『週刊 東洋経済』村上ファンド特別取材班、東洋経済新報社、p.357、\1600

2006.10.29

 村上ファンドの誕生から村上逮捕までを扱った書。時代の寵児となった村上ファンドとは何だったかを丹念に追っている。ファンドの数字や村上の発言を丹念に検証することで、村上ファンドと村上本人の虚と実の部分を浮き彫りにしている。この書評でも取り上げたエラ記者の大鹿靖明が著した「ヒルズ黙示録―検証・ライブドア」と併せて読むと、六本木ヒルズが象徴する不思議な世相の一端が分かる。
 村上が少年時代から株に手を染めていたことはよく知られるが、伝説となっている運用実績の嘘などを暴いている。マスコミを巧みに操縦して利益を誘導し、自らの目的を達成するための踏み台にしてきた様子もよく分かる。同時に迎合するマスコミ側の姿勢を批判的に描いている。今後の裁判の行方が気になるところだが、2006年夏時点までを総括する意味ではまずまずの仕上がりの本といえる。
 読み応えのある本だが、気のなるところも多い。裏づけを取ろうとする努力は買えるが、今一歩核心に触れられず腰砕けの様相を呈している部分があり残念である。事実を淡々と書き連ねるだけでも読み応えが十分あるのに、チクリチクリと嫌味なコメントを書き加えている。読後感を悪くしただけという印象が強い。本の出来としては「ヒルズ黙示録―検証・ライブドア」が上回っている。

 

心にナイフをしのばせて
奥野修司、文芸春秋、p.271、\1571

推薦!2006.10.26

 28年前に起こったサレジオ高校における殺人事件の被害者家族と加害者のその後を追った書。心にズシンとくる。サレジオ高校の殺人事件についての知識がなかったので、かなり衝撃的な内容だった。28年前の「酒鬼薔薇」事件と銘打って、このところ新聞でかなり派手に広告を打っているので気になっている方も多いかもしれない。社会の矛盾を痛烈に感じさせる良書といえる。筆者の過去の著書(大宅壮一賞を受賞している本もある)を読みたくなる出来である。一読をお薦めする。
 本書を読んでまず頭に思い浮かぶのは、トルストイのアンナ・カレーニナの書き出しの一節。「幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっている」(新潮文庫)である。本書が描く、被害者家族の姿はアンナ・カレーニナの書き出しそのものといえる。本書は被害者の妹の立場に立って一人称で語られるが、その歩んできた道と心情は実に切ない。その一方で、加害者の人生と償いは・・・。大いなる矛盾を感じさせられる。

 

自壊する帝国
佐藤優、新潮社、p.414、\1600

2006.10.24

 鈴木宗男と一蓮托生で逮捕された佐藤優が、ソ連からロシアへの激動期を振り返った書。歴史の裏側を克明に描いている。読み応えがある。インテリジェンスとは何か、情報力とは何かを考えさせられる良書である。外交官の仕事の一端を知る上では、非常に役に立つ。すべての外交官がこれほど活動的なら、この国も少しは変わるのかもしれないが・・・。

 

危険学のすすめ〜ドアプロジェクトに学ぶ
畑村洋太郎、講談社、p.279、\1400

2006.10.17

 失敗学の畑村・工学院大学教授の次なるターゲット「危険学」を紹介した書。六本木ヒルズの回転ドア事故の原因究明プロジェクトを題材にしている。技術者が陥りやすい設計上の落とし穴を具体的に指摘しており読ませる。ここで言う危険学とは、失敗を体系的に分析した失敗学ではカバーできない、危険の発生メカニズムと失敗を起こさないための具体策を探る試みである。「マニュアル」や「べからず集」が危険防止の役割をほとんど果たしていないといった、耳の痛い指摘も多い。
 飛行機コメットの事故に際してチャーチルが「イングランド銀行の金庫を空にしてでも原因を究明せよ」と命令を下したり、スペースシャトルの爆発事故を分析しNASAの問題を徹底的に叩く欧米に比べ、日本はいかにも生ぬるい。徹底的な究明という印象が薄いため、「何か隠しているのでは」という疑心暗鬼が常に起こる。きわめて不幸な状況である。本書が紹介するドア・プロジェクトは、こうした日本流とは一線を画す。ボランティアのプロジェクトながら、多くの協力者を得ながら徹底的に原因を究明している。対象は回転ドアに限らす、エレベータ、新幹線のドア、クルマのドア、学校のシャッターなど多岐にわたる。

 

iWoz:How I invented the personal computer,co-founded Apple,and had fun doing it
Steve Wozniak、Gina Smith、W.W.Norton & Company、p.313、$25.95

2006.10.15

 米Appleの創設者の一人、Steve Wozniakの自伝。期待してAmazon.comに予約を入れて購入した。残念ながら、期待したものは得られなかった。2人のSteve(もちろん片割れはSteve Jobs)の一方が書いた本なので、Apple創設期の内幕やJobsとの確執といった話をかなり期待していたが、ほとんど語られていない。逆に言えば売らんかなの下心が見えない、本当の意味での自伝に仕上がっている。  Steve Wozniakはシャイな人間として有名だが、自伝でもその性格がよく出ている。人を陥れて社内政治のなかでマネジメントとして偉くなるよりも、ジョークを飛ばして笑って生きていきたいという思いが伝わる(Wozniakは現在でもApple社員で、薄給で働いているという。Appleの株があるので給料は関係ないのだろうが・・・)。いかにも技術者といった素朴な語り口と、プレーンな英語はとても読みやすい。初めて作ったコンピュータや、自作キット「Altair」の話など、電子回路に興味ある人なら共感をもって読み進めることができるだろう。Altairへの熱い想いはちょっと過剰な感じもするが、いかにも技術屋という感じが出ている。このほか、Wozniakが設計したCPUボードは芸術的とよく言われるが、その秘密の一端も明かされている。
 ただし、この本にワクワクやドキドキを期待すると失敗する。Apple創設までを描く前半は、米Hewlett-Packardに対する想いに少し意外性があるが、その他は脚色がないだけ退屈である。もしAppleやJobsに対するコメントを期待するなら、最後の10ページあまりを読むだけで十分だろう。Apple本におけるWozniakに関する記述がいかに不正確だったかをはじめ、Appleの最近の製品(iMacやiPod)に対する評価、技術者のあるべき姿、Jobsとの考え方や感性の違い、成功する製品開発の秘訣など、Wozniakの考え方が集約されている。この部分はなかなか面白く、特に技術者の方々にお薦めである。

 

2006年9月

組織行動の「まずい!!」学:どうして失敗が繰り返されるのか
樋口晴彦、祥伝社新書、p.235、\740

2006.9.30

 リスク管理や失敗学に興味を持つ方にはお薦めの本。JR西日本の脱線事故など比較的新しい事例も載っているので、自らの知識をブラッシュアップできる。もっとも、失敗学の題材となる事件が後を絶たないということは、良いことなのか悪いことなのか。所詮学問は役に立たないということなのか・・・。
 安全対策以外にも役立ちそうな警句が続々登場するのが本書の特徴である。「ベテランほど事故を起こす」「事故を防ぐための規則が過剰となると、逆に事故につながる」「集団内の合意を得ようと意識するあまり、意思決定が非合理な方向にゆがめられるグループ・シンキングの危険」「人間は、想定される重大な危険よりも、現実のわずかなコストに気をとられる」「今まで大丈夫だったから、これからも問題は起こらないと考える思考パターンの愚」「合理化の名のもとに、本来あるはずの余裕が削り取られることの危険」「安全対策が十分すぎると緊張感がなくなり、かえって安全軽視につながる」「事故防止の観点からは、日ごろ軽視されている傍流の職場が危ない」「アウトソーシングしたからといって、リスクまでもアウトソース先に押し付けることはできない」などなど。単なるセレモニーに堕してしまい、いざ事故が起こったときに役立たない訓練の話も耳が痛い。

 

【日本現代】デジタルな生活:ITがデザインする空間と意識
小川克彦、NTT出版、p.350、\2500

2006.9.28

 筆者はNTTサイバーソリューション研究所の所長。バリバリのコンピュータ・ネットワーク技術の専門家である。その専門家が、素人にかなり気を遣って、ITが生活に及ぼす影響を説明している。その気の遣い方は少々気の毒なほどだ。しかし、素人に分かると思えない内容(技術用語)がところどころに登場するのはご愛嬌である。やはり技術用語を使わずに、ITを説明するのは難しいというのを再認識させられる。
 正直言って、IT業界に身を置く評者としてはあまり面白くない内容の本である。どこかの書評が持ち上げていたと記憶するが、それとはかなり印象が異なる。最新の情報や鋭い切り口が豊富かなと思って購入したが、ちょっと残念。NTTが主導権を握っていた時代の懐かしい話が多い本である。切り口については、梅棹忠夫や堺屋太一の焼き直しの印象が強い。

 

累犯障害者:獄の中の不条理
山本譲司、新潮社、p.238、\1400

2006.9.24

 政策秘書給与の流用事件で実刑判決を受け服役した元代議士・山本譲司氏のノンフィクション第2弾。第1弾の「獄窓記」は、知られざる刑務所の実態を明らかにした本だったが、本書はその続編といった位置づけにある。犯罪を重ねる知的障害者の問題を扱っている。加害者が障害者と分かると、新聞やテレビによる報道はどんどん腰が引けていくと、筆者は指摘する。週刊誌がかろうじてフォローするが、なかなか表に出てこない。結果として、深刻な問題にもかかわらず対策は後手に回ってしまう(あるいは放置される)。
 いくつかの事例を挙げているが、できれば個々の事件についてもう少し書き込みたかった。物足りなさを感じてしまう。特に一番手に取り上げている「レッサーパンダ事件」については、この書評でも昨年取り上げた佐藤幹夫氏による「自閉症裁判」という優れたノンフィクションがあるだけに差が明確になってしまう。問題意識が異なるので本書が劣るという訳では決してないが、冒頭にもってきたことによって損をしている感じがする。全般に、プロのノンフィクション作家ではないので文章に粗さが残るが、逆に事実で読ませる力強さがある書である。

 

データの罠:世論はこうしてつくられる
田中秀、集英社新書、p.205、\714

2006.9.23

 買って損をした気分にさせられる本である。分野が分野だけに仕方がない面もあるが、正直言って目新しさが感じられない。お買い得感が不足している。特に最終章の「官から民へを検証する」は、本書の趣旨から大きく外れている。筆者が自治省出身の大学助教授ということで組み込んだのだろうが、これはちょっとひどい。何の本を読んでいるのか分からなくなってしまう。申しわけ程度に数字の話が入っているのが、かえって読後感を著しく損う効果をあげている。
 評者は、データを使って相手を煙にまき、平然とウソをつくことを取り上げた本を好んで読んでいる。今年のはじめにも『「社会調査」のウソ〜リサーチ・リテラシーのすすめ』を取り上げた。本書もその流れで、出版された直後に購入した。けっこう期待して読み始めただけに、残念な印象だけが残った。

 

事故と心理:なぜ事故に好かれてしまうのか
吉田信彌、中公新書、p.252、\820

2006.9.20

 なぜ交通事故が起こってしまうのか。交通事故の加害者になりやすい運転者の特性は何か、被害者になりやすい人の特徴は何か、防ぐ方法はあるのか、といったテーマを扱った交通心理学の書。事故についての数々の実験を織り交ぜて解説している。具体性に富み実に面白い内容である。特に事故を起こしやすい運転者の特徴は、一般的に考える内容と異なり意外性がある。これは読んでのお楽しみだ。
 帯に『「気をつけて」だけではミスは減らせない』とあるが、これも本書のテーマの一つ。筆者は「安全意識」という言葉に厳しく噛みついている。安全業界に根強く生き続ける妖怪とまで表現する。安全意識、安全態度、安全マインドといった言葉は百害あって一利なしで、管理者が声高に叫ぶことには便利だが、意識だけでは何も解決しないと断言する。
 本質的に「言行不一致」である人間は、たとえ動機づけが高く、しっかりとした意識を持てっいても、論理的に対処し、安全な行動をとるとは限らない。安全意識は人間の言葉と合理性に信頼を置く発想だが、その仮定がそもそも間違っているというのが筆者の見解である。いずれにせよ、人間をコントロールすることの難しさがよく分かる。ちなみに昨今話題の飲酒運転の問題についても取り上げている。一読の価値のある本である。  

 

日本の電機産業再編へのシナリオ:グローバル・トップワンへの道
佐藤文昭、かんき出版、p.323、\1800

2006.9.15

 電機会社の数が多すぎ、しかもライバル意識むき出しの過当競争によって疲弊し、利益なき繁忙に陥る----昔から言われていたことを、改めて認識する本である。中身は今さらという内容だが、数字できちんと裏付けている点と大胆な提言が本書の特徴となっている。読みやすい本なので、電機業界に関係する方が一読するのは悪くないだろう。
 著者の問題意識は、現状のように株式の時価が低いままでは外資のM&Aの標的になるというもの。特に子会社の収益力が本体よりも高い会社などが外資の格好の餌食になりかねないとする。優良な子会社を多く抱える日立製作所を一例として挙げている(ちなみに日立は先日、2007年3月期の550億円の赤字を発表した)。日本の電機産業の問題は利益率が5%を切り、欧米や韓国の企業に比べて著しく低い点になある。国内にひしめき合った電機企業が内弁慶ビジネスに狂奔した結果、短期間で市場が飽和し、価格競争に陥る。売り上げは上がるが、利益が出ないという状態になる。この愚行が延々と繰り返されてきた。営業利益率が向上しているように見える松下電器産業や富士通にしても、将来の糧を生む研究開発費と設備投資を削っての結果だと指摘する。将来は明るいとはいえない。
 こうした状況のなかで、起死回生の一手として登場するのが筆者の再編策である。シナリオは具体的にはこうだ。
 @既存の大手電機を合併により2社に統合する
 A統合した企業を事業分野ごとに分離して独立した企業にする
 B独立した企業間での合併・連携を進捗させて、できるだけ1社にする
 こうしたシナリオを、コンピュータ、AV機器、半導体、白物家電、パソコン、携帯電話、重電といった分野について展開する。いずれも到底実現しそうもないシナリオだが、考えさせられる内容を含んでいる。

 

大地の咆哮:元上海総領事が見た中国
杉本信行、PHP、p.356、\1700

推薦!2006.9.13

 少し前、上海総領事館の館員が中国から機密情報の提供を強要され自殺したという事件が新聞や週刊誌をにぎわせた。ご記憶の方も多いだろう(最近では上海に頻繁にわたっている自衛官の問題がクローズアップされている)。この領事館員の自殺が起こった当時の総領事が筆者である。
 30年にわたって中国外交の第一線で活躍した筆者が、中国外交に関わるようになった経緯、中国外交の裏側や中国社会の内実/矛盾、中国の歴史の裏側を明らかにしたのが本書である。知られざる、知らされざる中国の姿が浮き彫りになっている。中国の水不足、都市と地方の格差の構造的な問題、農民の悲惨な実態、中国へのODA援助(円借款)の問題、反日運動の背景など、へ〜っという内容が満載で、実に面白く示唆に富む内容の本である。プロの目から見た中国の実情がよく分かり、お薦めの本である。
 ちなみに筆者は末期がんの宣告を受けながら本書を執筆し、この8月に亡くなっている。

 

思春期の危機をどう見るか
尾木直樹、岩波新書、p.233、\780

2006.9.8

 子どもによる凶悪犯罪、ネット犯罪、さらには引きこもりやニートなどを生む背景を教育現場からの視点で追った書。社会の変化に対応できない教育行政と現場、現場と遊離した文部科学省の施策、子どもや親の目線に立たない教育現場といった問題点と解決策を提示する。多くの事例を検証している点は評価できる。ただ残念ながら、すごく鋭い視点を提供しているといった感じはない。

 

V字回復の経営〜2年で会社を変えられますか
三枝匡、日経ビジネス人文庫、p.458、\800

2006.9.3

 財界人が薦める本に必ず登場するのが本書。ベンチャー企業の経営者に特に信奉者が多いように感じる。遅まきながら読んでみた。そこそこ面白い。夏休み向きの本である。
 コンサルタントの筆者(現在はミスミ代表取締役)が関わった、企業5社の再建物語を小説仕立てにしたもの。苦境に陥った企業がリーダーを探し出し、さらには若手を抜擢して社内の雰囲気をガラリと変え再建にいいたる。ありがちなストーリだが、実例をベースにしているので、さほど浮いた感じはしない。すっかり視線が後ろ向き(社内向き)になり社内政治が横行するさまは、多くのおおくの企業に共通する部分だろう。かなり長い小説だがサクサク読める。コンサルタントらしく、要点をうまくまとめた章が挿入されており頭の整理に役立つ。ちなみに本書が披露する、経営者として最も重要な資質は「高い志」である。でも、これが難しい。

 

2006年8月

会社は誰のために
丹羽宇一郎、御手洗富士夫、文芸春秋、p.221、\1238

2006.8.23

 対談形式の本。ベストセラーになっているらしいが、内容はさほど面白くない。キャスティングの勝利だろう。商魂が見えみえの組み合わせなのは仕方がないが、キャストに内容が伴っていない感がある。丹羽、御手洗の両氏について、いろいろなところで取り上げられている内容が並んでいるだけで、目新しさに欠けるところがある。対談形式をとっているが、両人がそこそこ長く喋っているように編集されている。そのため丁々発止という感じにならず、少々退屈。

 

【日本の現代】日本の食と農:危機の本質
神門善久、NTT出版、p.309、\2400

2006.8.20

 強烈な“怒りの書”である。日本の農業に対する危機感がひしひしと伝わってくる。ところどころに牽強付会なところもあるが、何の遠慮もなく自説を展開する様子にはすがすがしささえ感じる。農業に興味をある人もない人も、新たな視点が得られる良書である。筆者にとって最初の単行本らしいが、よくぞ優れた書き手をみつけたものだと思う。
 本の帯には「すさむ食生活、荒廃する優良農地」とあるが、後者がほとんどのスペースを占めている。農家、農協、農水省、政治、企業(土建会社)、学者、マスコミ、消費者の欺瞞を縦横無人にぶった切る。日本社会でありがちな、無責任と金権の連鎖がみごとに描かれている。日本は甘い汁を吸うことばかり考えている輩で溢れているというのが筆者の考えである。
 例えば、農地を転用して金儲けすることしか考えない零細農家。平然と違法行為を続ける農協。欺瞞と姑息に満ち満ちており、自己保身を何よりも優先する農水省。票田としての農家に迎合し続ける政治。規制緩和に便乗して土地を虎視眈々とねらう企業。日本の農業の行く末を考えることなく、半ば職務を放棄している農経学者。知ってか知らずか、農家のエゴに加担し誤った情報を流し続けるマスコミ。責任は他人に押し付け、自らは何も動こうとしない消費者。などなどである。
 目次にざっと目を通しても、筆者の危機感よく分かる。消費者のエゴ、食育の誤謬、JAの怪しさ、マスコミによる情報操作、農民の嘘、悪魔のシナリオと見出しが並んでいる。ちなみに農水省が描く悪魔のシナリオとは、(1)農地保有自由化に反対して時間を稼ぐ、(2)その間に、農地の転用規制をできるだけ骨抜きにする、(3)その後、外部要因に屈するふりをして(その実、嬉々として)、農地保有を自由化して農地を買い漁らせる。
 筆者の視点以外に評価したいのが索引である。評者も何冊か書籍にかかわったが、索引作りは手間隙がかかるわりに達成感が得られない作業である。目立たないところをきちんと作っている本書は、それだけでも高く評価できる。

 

工学の歴史と技術の倫理
村上陽一郎、岩波書店、p.180、\2800

2006.8.13

 技術の倫理という言葉に引かれて購入したが大失敗。少なくとも「倫理」に関して2800円を支払う価値はない。大半が工学の歴史の記述が占めているが、それも特段の特徴があるわけでもなく総花的である。読み応えがまるでない。内容的に見て180ページで2800円という値付けはあんまりである。恐ろしくコストパフォーマンスの悪い本といえる。村上陽一郎は時としていいことを言うので、少しは期待していただけに残念である。

 

「失われた十年」は乗り越えられたか:日本的経営の再検証
下川浩一、中公新書、p.293、\800

2006.8.9

 本書評で絶賛した「トヨタシステムの原点:キーパーソンが語る起源と進化」の共著者である下川の最新刊ということで、さっそく購入。内容には疑問符がつく。「日本的経営の再検証」というサブタイトルにあるように、本書の扱う範囲は下川が得意とする自動車産業にとどまらない。そのためITや半導体といった領域にも踏み込んでいるが、これが失敗。付け焼刃の記述が痛々しい感じである。失われた十年の分析も、少々ありきたりで目新しさに欠ける。

 

レーサーの死
黒井尚志、双葉社、p.317、\1600

2006.8.4

 3面記事的なお気軽な本かと思って読み始めたら、ずしりと重たい内容で驚いた。アイルトン・セナ、福沢幸雄、高橋徹など、評者も知っているレーサーの生涯と事故死を扱った書である。セナが激突死したときはちょうどテレビの中継(リアルタイムではなかったようだが)を見ており、今でも記憶に鮮明に残っている。あの死の原因が、技術の最高峰のF1にしてはお粗末な話にあったことは少々驚きである。
 本書はレーサーの生涯と死を扱っているが、タイトルにあるように、あくまで中心は事故死の部分。モーター・ジャーナリストの筆者が事故の原因を、家族や友人、レース関係者への丹念な取材で探っている。残念ながら古い事故が多く、証拠をあっと言う間に隠滅したメーカーもあり、原因の核心部分に到達しきれないところもあるのが悔やまれる。あまりに専門的過ぎて、裁判でも的確な判断を下しづらい面もあるし、そもそも人間が介在するスポーツであり、ファジィな部分が残るのは致し方ないところだろう。
 本書を迫力あるものにしているのは、事故の責任を負うべきレーサーや企業が実名で登場しているところ。かなりインパクトがある。とりわけトヨタと同社のレース責任者(当然、実名で登場する)に対する筆致はきわめて厳しい。いずれにせよ地道な取材が内容を説得力のあるものにしている。文章は洗練されていないところが残るが、筆者のモーター・スポーツへの想いがよくでている良書である。

 

昭和史 戦後篇(1945-1989)
半藤一利、平凡社、p.565、\1800

2006.8.2

 ビスマルクの言葉に、「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」というのがある。歴史を学ぶのに最適な書。筆者は、「日本のいちばん長い日」「ノモンハンの夏」の著作で知られる半藤一利。2004年に出版された前編も面白かったが、後編も充実している。若いヒトに丁寧に語りかける風情がなかなかいい。もちろん半藤史観であって、昭和史の正史ではないが歴史ってこんなものという感じがする。歴史って面白いということを知らしめるだけでも、本書の意味は大きい。

 

2006年7月

【日本の現代】開発主義の暴走と保身:金融システムと平成経済
池尾和人、NTT出版、p.316、\2400

2006.7.28

 実にクールな本である。論旨は明快だし、抑えた書き口に共感が持てる。高度経済成長が終焉に至った理由や、失われた10年における経済状況の分析、BIS規制の真の意味に関する解説は、経済学に疎い評者の腑にもすっと入ってくる。ただし、タイトルと内容とのギャップは気になるところ。売りためには致し方ない面もあるが、ちょっとキャッチーに過ぎるように思う。本の帯には、「いま解明される『失われた10年』の真実」とあるが、こちらの方が的を射ている。
 筆者の論点は、日本の市場は質が低いという問題を抱えており、失われた10年を見つめなおし、高度な市場を形成することが喫緊の課題だということ。よく持ち出される直接金融と間接金融の話も論点となっている。市場の質が低いがゆえに信頼されず、さらに質が低下するという悪循環に陥っているとする。そして質の高い市場が育つための制度基盤の整備が、これから不可欠だと訴える。
 なおタイトルにある「開発主義」とは産業化の達成に目標を置き、介入主義的な政府と銀行中心の金融システムを容認する仕組みを指す。失われた10年の元凶がここにあるし、そして護送船団方式を維持した結果として、金融業界は金融工学の進展にすっかり乗り遅れた。おかげで、すっかりドメスティックな存在になってしまった。

 

The Long Tail:Why the Future of Business Is Selling Les of More
Chris Anderson、Hyperion、p.238、$24.95

2006.7.24

 Web2.0と並んでネット系の流行語となっている「Long Tail」。いまや一般紙にも登場するが、Wiredの2004年10月号が初出というのを本書で始めて知った。日本では2005年初頭から広く使われ始めている。提唱者であるWired編集長の手になるのが本書である。いかにも日本語版が緊急出版されそうなので急いで読んだが、正直言って期待はずれ。期待が大きかっただけに、ちょっと残念だった。
 もちろん全く価値がないという訳ではない。何となく分かった風だったLong Tailをデータで裏付けることに成功している。都合に良いデータを集めたという気もするが、それでも事例が実に豊富で米国事情を知る上で貴重である。この点は評価できる。ただLong Tailの理論的な裏づけとなると少々物足りない。検索エンジンやRecommendation機能の充実などを挙げるが、この手の世界では普通すぎる説明で終わっている。これではワクワクしない。社会的・文化的な考察もありきたりなのも気になるところだ。全般に驚きが少ない本という読後感である。
 本書の価値は、新たなマーケティングの教科書というところにある。検索エンジンやブログといったインフラの上に成り立つ新たな消費世界にマッチしたマーケティング手法を示唆する。例えばLong Tailのマーケティングでは、ノイズをいかに処理するかが重要と指摘する。信号レベルの低い(SNが悪い)尾っぽの先の部分では、ノイズが取り除けないと消費者の不満が高まる。結果として、Long Tailの市場が崩壊すると指摘する。
 うまい表現だなと思うのが、“Don't Predict:Measure and Respond”というフレーズ。同じことを米IBMはOn Demandと表現しているので、それに影響を受けたのかもしれないが、現状をうまく言い表している。従来のように作り手や送り手が消費者の嗜好を予測する(勝手にフィルタをかける)のは古い。消費者自身がブログやコメント、プレイリスト、レビューといった手段でフィルタ役を果たしている。作り手や送り手は、フィルタの結果として生じる消費行動を測定し、それに反応して次々に手を打つのが肝要と指摘する。
 筆者自身が身を置くジャーナリズムに対する見方は辛らつ。そもそも記者という職業は、情報の流通が不十分ということを前提に成り立っているところがある。ところが現在は、その道の専門家がどんどんブログなどで発言することが可能になった。一次情報に接することが可能な上に、専門知識をもつ当事者に速さや詳しさで記者が勝てる道理がないと言い切る。シングルソースでは生じる偏りについても、SNS的な手段で情報を交換すれば簡単に片がつく。いろいろ考えさせられる指摘である。

 

殿様の通信簿
磯田道史、朝日新聞社、p.253、\1300

2006.7.22

 いろいろな書評で、好意的に取り上げられている本。江戸時代の大名の行状を、「土芥寇讎記(どかいこうしゅうき)」という元禄時代の文書を元に綴っている。殿様の行状・私生活が垣間見えて実に面白い。
 金沢で育った評者にとって、前田家の殿様の話が豊富に出てくるのが実に楽しい。有名な前田利家に1章を割いているし、3代の前田利常は3章にわたって扱っている。へ〜という内容満載で、どうして郷土史の時間にこういった話を教えてくれないのだろうと疑問に思う。歴史がもっと好きになったろうにと思う。このほか、徳川光圀、浅野内匠頭、池田綱政、内藤家長、本多作左衛門といった面々を扱っている。軽快な書き口ですらすら読める本なので、暇つぶしには最適である。

 

必笑小咄のテクニック
米原万理、集英社新書、p.205、\680

推薦!2006.7.17

 さきごろガンで亡くなった、ロシア語会議通訳で作家でもある米原万理のエッセイ。筆者自身が、自らの病状をあとがきで明かしている。TVのコメンテータとして活躍している米原は知っているが、著作を読んだのは初めて。エッセイストとしての力量はなかなかのもの。抜群に面白い本である。
 筆者は可笑しさの要因を11に分け、国内外の小咄を体系だって分類している。11の要因には「神様は三がお好き」「誇張と矮小化」「権威は笑いの放牧場」といったものが並ぶ。小咄の面白さは聞き手の意表をつくところにある。意外な展開に思わずニヤリとさせられる。そして、笑いの裏に辛らつな毒を含んでいるところがまたいい。そんな小咄が満載の本書を読むと、「そんなにカッカしないで、肩の力を抜いて生きてみれば」と著者が耳元でささやいているように感じる。

 

痴呆を生きるということ
小澤勲、岩波新書、p.223、\740

推薦!2006.7.9

 人生も半分を過ぎ、親だけでなく自らの痴呆も考えなければならない時期を迎えている評者にとって、とても役立つ本。教科書的な記述ではなく、痴呆老人の治療・ケアに20年以上も関わり、患者にきちんと寄り添った筆者の生き様がよく分かる本である。痴呆老人の精神病理に光を当てている。あとがきによると、筆者自身も肺がんが全身に転移し、自らが死に直面しているという。
 いわゆる教養書なのだが、筆者の痴呆老人とのかかわり方は、感動的でさえある。実体験に基づいた表現には重みがある。

 

フラット化する世界(下):経済の大転換と人間の未来
トーマス・フリードマン著、伏見威蕃訳、p.393、\1900

2006.7.6

 上巻はインターネットのインパクトについて、外面的な現象について述べていた。下巻は内省的な内容になっている。華やかさは上巻に劣るが、懐が深い内容で読み応えがある。下巻を象徴するのが「11.9」と「9.11」。前者はベルリンの壁の崩壊。開放を象徴し、正の面である(とりわけ米国にとって)。後者はもちろん貿易センター・ビル爆破である。インターネットの負の面(米国にとっても)を象徴している。
 本書を読んで感じるのが、米国におけるインターネット論の懐の深さ。技術論の懐の深さとしてもいいかもしれない。そもそも筆者のトーマス・フリードマンはニューヨーク・タイムズの外交問題コラムニスト。外交ジャーナリストの観点からのインターネット論は視野が広く読み応えがある。インターネットをITの観点からよりも、政治・外交・文化・宗教・医療、さらには家庭といった面から追う。確かにインターネットを技術の面だけから扱うのは、その影響力の大きさからして偏狭に過ぎるといえる。社会的、文化的な側面をちゃんと押さえるべきだろう。
 筆者のバックグラウンドから容易に想像できるが、内容が米国に偏っている。それを承知で読み進む必要があるだろう。筆者の米国の外交や教育に対する危機感には並々ならないものがある。例えば外交については、過去を振り返るのではなく未来を見つめるのが米国の国際社会での役割と定義する。それが、希望ではなく恐怖の輸出を行っているのがブッシュ政権と批判を加える。米国の教育制度への危機感も大きい。勉強をさせよ、暗記させよと繰り返す。ちなみに教育の成功例として挙げるのがアイルランド。最近、IBMが今後3年間に6000万ドルを投じてソフト事業を強化すると発表しているのと符丁が合う。IBMは本書を広告に使うなど、すごいサポータである。

 

2006年6月

フラット化する世界(上):経済の大転換と人間の未来
トーマス・フリードマン著、伏見威蕃訳、日本経済新聞社、p.393、\1900

2006.6.29

 BusinessWeek誌が選ぶ2005年のトップ・ビジネス書にランクインしたのを見て購入。いつものようにツン読しているうちに、翻訳が出てしまった。上下2巻で、それぞれ400ページほどの力作である。日経の新聞広告や米IBMの雑誌/新聞広告に登場する本なのでご存知の方も多いだろう。雑誌広告に登場していたのは当初原書だったが、翻訳が出てからはそちらに代わった。ちなみに著者のトーマス・フリーマンは、かつて評判を呼んだ「レクサスとオリーブの木」の著者。ピュリツァー賞を3回受賞している。また原書の副題は、「A Brief History of the Twenty-first Centurey」である。
 インターネットに代表されるIT化の進展によって、世界の仕組みが変わり、世界がフラットになったというのが筆者の主張。つまり、コマンド&コントロールのトップダウンの世界から、コネクト&コラボレートの水平分業の世界へ変化したとする(言い古されているが・・・)。そしてこのフラットの時代には、それに向いた価値観や考え方が、社会的にも産業的にも必要だと指摘する。新しい皮袋には新しい酒をという訳である。
 冒頭はインドの風景で始まり、インドでのコールセンター代行や中国、日本の話を織り込みながら、世界がフラットになっていることを示す。丹念な取材に基づく事例の数々は、特段目新しくはないが、読ませる内容になっている。日本のこの手の本は、伝聞やネット上の情報ばかりで一次情報にあたっていない薄っぺらなものが少なくない。米国の第一線の人物に接することができる地の利もあるが、ジャーナリストとしての力量の差ということだろう。
 例えば元国務長官のコリン・パウエルの逸話など米国エリート層のあり方が垣間見えるし、IBMが自社の事柄に関する記述をチェックするためにWikipedia監視の専門部隊を置いているというのは初耳だった。また検索エンジンの能力が高まる今後、人間は「Don't be evil」でなければならないという主張は、確かにそうだと納得させられる。検索エンジンによって、個人が歩んだ人生をトレース可能になる。インターネットからアクセス可能な情報が飛躍的に増え、個人の人生に関する情報は今後どんどん詳細に蓄積されるようになるだろう。Evilな刻印は容易には消せなくなっていく。

 

感動! ブラジルサッカー
藤原清美、講談社現代新書、p.222、\720

2006.6.22

 筆者はサッカー関係の雑誌ではかなり有名なジャーナリスト。ブラジルに移住し、取材はブラジル一辺倒である。ブラジル代表(セレソン)の密着取材を許される、唯一の外国人ジャーナリストと著者紹介には書かれている。本書はその集大成といった感じである。ワールドカップに合わせて出版された本だと推察するが、優勝候補の筆頭だったブラジルはフランスに敗れてしまった。ロナウジーニョなど、十分に実力を発揮していなかったのはちょっと残念。
 本書はブラジル代表へのインタビューを中心に構成されている。貧困からに脱出、ブラジル代表としての矜持と苦悩といった内容である。登場するのはロナウジーニョ、ロマーリオ、カカ、ロナウドといった面々。雑誌的なつくりで手軽な本である。暇つぶしにはいいが、踏み込みが足りないところに不満を感じる向きもあるかもしれない。

 

あの戦争は何だったのか〜大人のための歴史教科書
保阪正康、新潮新書、\720、p.251

2006.6.19

 最近「昭和史」の完結編を上梓した保阪正康が太平洋戦争とは何だったかを改めて問うた本。背景には、日本を戦争に引きずり込んだ指導層が、いまもって説明責任を果たしていないという筆者の思いがある。山本七平の「日本はなぜ敗れるのか」に通じる良書である。この手の本を読むと、西ドイツのワイツゼッカー元大統領の言葉「過去に目をつむる者は未来にも盲目となる」が頭をよぎる。反省がない結果、本書のいうように「戦争の以前と以後で、日本人の本質は何も変わっていない」事態になってしまう。
 では、なぜ日本人は反省ができないのか。保阪は、国民的な性格の弱さと狡猾さにその根源を見る。性格的に弱いからこそ、戦争と正面から向き合い、責任の根源を追求することができない。本書で取り上げられているように、「敗戦」を「終戦」と言い換える姑息な態度にそれはよく表れている。敗戦時の東久邇首相が語った「敗戦と理解するところからすべてが始まる」という態度がどうしてもとれない。
 広い視野からの価値判断ができるような指導者を得ないところも、日本の根源的な問題の一つ。軍隊内部の論理だけで昇進を果たす結果、内輪の価値観でしか判断できない人物を輩出してしまう。自らは戦場から遠く離れた安全な場所にいながら、敗北の責任は現場になすりつける。現場を知らずに、茶坊主たちの言葉に操られてしまう。
 米軍は戦果の把握のために、必ず戦闘部隊とは別に「確認部隊」を派遣していた。写真や映像に撮り記録を残して、事実に近い戦果を司令部に報告するシステムが確立されていた。「戦争を戦っているのではなく、自己満足しているだけ」「知性も理性も国際的な感覚もなく、あるのは自己陶酔だけ」の輩が跋扈していた日本軍との差はとてつもなく大きかったと言わざるを得ない。

 

原典:ユダの福音書
ロドルフ・カッセルほか編著、日経ナショナル・ジオグラフィック、p.190、\1800

2006.6.15

 ユダの福音書の数奇な運命をたどった、「ユダの福音書を追え」の続編。福音書そのものを復元・翻訳したもの。裏切り者とされてきたユダが、実はキリストの最大の理解者で最大の弟子だったことが記されている。歴史ってロマンだなという感じを強く受ける本である。
 もっとも、原典そのものの翻訳部分は読んでもよく分からない。適所に詳細な注釈がついているのだが、残念ながら浅学の身には、それでも理解は進まない。それを補うために本書には後半部に、詳細な解説がついている。この解説を読み、改めて原典の翻訳に戻るとやっと想像の世界が広がってくる。解説を読んでから、冒頭の翻訳に戻るのが本書の読み方だろう。1.5回くらい読まないと、本書の面白さは理解できないような気がする。

 

裏社会の日本史
フィリップ・ポンス著、安永愛・訳、筑摩書房、p.403、\4300

2006.6.11

 仏ル・モンド紙の東京支局長の手になる、日本の裏社会を歴史的背景から追った書。400ページを超える大著で持ち運びに難があるが、読み応え十分である(値段も少々張る)。著者フィリップ・ポンスは、イラクでの邦人人質事件で名をはせた人物。日本国内の自己責任論で追い詰められた若者を弁護する論評を「ル・モンド」紙に掲載したのである(米国ではパウエル国務長官の発言が有名)。こうした日本人にはない視点の斬新さが本書の売りである。
 本書は中世から現代にいたる裏社会の変遷を描いている。前半で下層社会、後半ではヤクザを対象にする。下層社会の章では被差別民や労働者、山谷や釜ケ崎の人々を描く。後半の主役はヤクザである。暴力団、テキヤ、博徒などを扱う。序文で筆者はこう書いている。「日本のヤクザと貧苦の人々についての書である。社会の暗部の諸相を把握し、現代日本の周縁的空間に光を当てることを目的としている。(中略)現代の日本社会を総体としてよりよく理解するための手がかりとなろう」と。
 本書がユニークなところの一つは、社会の落伍者やヤクザと権力との接点や関係を見事に浮き彫りにしているところ。イタリアのマフィア的文化との対比は説得力に富む。
 それにしても、なぜか日本の下層社会やヤクザについて論じたもので読み応えのある書は外国人の書いたものが多い。評者の書棚を見ても、米国人の手になる「山谷ブルース」、イスラエル人が著者の「ヤクザの文化人類学」などが並んでいる。本書を含め、日本人にありがちな感傷やバイアスのかからない冷静な視点が共通する。淡々とした筆致ながら、鋭く日本社会をえぐるさまは快感でさえある(違和感のある表現や間違いも存在するが致命的ではない)。

 

日本共産党
筆坂秀世、新潮新書、p.191、\680

2006.6.2

 セクハラ事件で参議院議員の辞職に追い込まれ、さらには離党した筆者が書いた日本共産党の内幕。帯には「これが実態だ! 元・最高幹部が赤裸々に明かす『革命政党』の全貌」とあるが、筆者の経歴を踏まえた上で読んだほうがいいだろう。
 正直なところ、想定範囲内の内容が多く、それほどの驚きの内容ではない。最近の赤旗の退潮ぶりや、党員のモチベーションの低下ぶりなどに目新しさはあるが、昔読んだ立花隆の「日本共産党の研究」に比べると、その価値はぐっと落ちる。そもそも目新しく感じる部分も、評者の日本共産党という組織に対する関心の低さによるもので、とっくに明らかになっている情報かもしれない。
 本書から感じる日本共産党の実態は、どこか小学校の学級会を思わせる。小学校のクラスでは絶対的な権力者である先生と、小賢しく立ち回って点数稼ぎに喜びを見出す級長、そうした姿をしらけて見ている多くの生徒といった構図である。

 

2006年5月

日本の不平等〜格差社会の幻想と未来
大竹文雄、日本経済新聞社、p.306、\3200

2006.5.30

 今話題の「不平等」を定量的に分析した本。感覚的あるいは感情的な議論を廃し、不平等か否かを数字で裏付けようとしている。軽佻浮薄な議論が横行する中で、事実を定量的に押さえて議論を進めていく態度は評価できる。本書でよく出来ているのは、各章の扉部分に書かれた要点である。ここを読むだけでも筆者の主張は十分に理解できる。もっとに学者の研究論文なので数式が多く出てくるが、そこは読み飛ばすのが無難だろう。読み飛ばしても何の支障もない。
 筆者は、所得格差が高まったかのように見えるのは、高齢化の進展と単身世帯・二人世帯の増加によることを示す。同様に、賃金格差の拡大はあまり大きくないと結論付けている。ただし、若年層で学歴間賃金格差の高まりが2000年以降に見られるとともに、大卒中高年層では学歴間格差は縮小傾向にあることを、統計情報を用いて示している。このほかにも、社会保障政策は今後、異なる世代間の分配問題から世代内の分配問題が重要になる、ITリテラシによって賃金に格差がつくコンピュータ・プレミアムは過大評価されているといった指摘など示唆に富む内容が多く含まれている。
 ではなぜ格差がこれほど騒がれるのか。筆者は、成果主義的な賃金制度の導入によって、40歳未満の労働者が生涯賃金格差拡大を予想していることを原因の一つと指摘している。難を言えば、後半部になるとちょっと息切れ気味である点だろう。大幅加筆しているとはいえ、もともとは研究論文の寄せ集めなので、切り口がどうしても分散して見えてしまうことが一因である。

 

狂気の偽装:精神科医の臨床報告
岩波明、新潮社、p.249、\1400

2006.5.23

 なかなか魅力的なタイトルだが、書名につられて読み始めて大失敗。帯には「マスコミが煽り、社会に蔓延する『精神病』の虚妄を衝く」「その『心の病』は大ウソだ!」とある。確かに該当する記述はあるが、竜頭蛇尾といった感が強い。出版社の作戦勝ちといったところだろうか。
 うつ病、アダルトチルドレン、PTSD、トラウマといった『精神病』を力強く斬り捨てる部分はあり期待をもたせるが長続きしない。それらしい名前をつけると、それに合わせて病気が増えるのは確かだし、その言葉をセンセーショナルに取り上げるマスコミが世の中を煽り、誤った方向に世論を誘導しなねないのは否めない。しかし著者の論拠はちょっと弱い。いろいろ断定的に述べているが、その根拠に説得力があるかというと、ちょっと疑問が残る。妙に思いの強さだけが伝わってくる(編集者の観点からすると、この力強さがないと単行本として成り立ちづらいのだが・・・)。
 冒頭部分はかなりいい線がいっているが、大半は単なる精神科医の本と思ったほうがいい。精神科医の本としては並みのレベルというのが評者の印象である。

 

危機の宰相
沢木耕太郎、魁星出版、p.309、\1600

2006.5.19

 贔屓の作家の一人、沢木耕太郎のノンフィクション。最近出た本だが、書いた時期自体は1977年とずいぶん昔。でも、まったく古さを感じさせない快作である。評者が大学生のときに文芸春秋に掲載されたもので、何となく当時読んだような気もする。
 本書は、「所得倍増」政策にかかわった3人の人物に焦点を当てている。首相・池田隼人、エコノミスト・下村治、宏池会事務局長・田村敏雄である。大病などの理由で大蔵省という組織における敗者(ルーザー)だった池田・下村・田村の3人が、戦後のエポックである「所得倍増」を成し遂げていく姿を描いている。必要な時期に必要な人材を時代が要求したというのが、ぴったり当てはまる3人の物語である。それにしても「所得倍増」とは懐かしいフレーズだ。
 沢木のノンフィクションが好きなのは、取材対象への暖かさを随所に感じるところ。本書もその点では同じ。それを裏付けるように沢木は、あとがきでこう述べている。「僕には彼らに対するいわば義侠心のようなものがあった。こんな志を持った人たちが、ある意味で貶められている」。自らの信念で正々堂々と潔く歩いた人たちを描く一方で、小賢しく立ち回る「口舌の徒」には厳しい目を向けている。読み応えのある1冊である。

 

ブルックスの知能ロボット論:なぜMITは前進し続けるのか
Rodney A. Brooks著、五味隆志訳、オーム社、p.382、\3200

2006.5.15

 米国人の研究者らしい、底抜けの楽観主義で貫かれた本。専門的な内容を洒脱な(そして辛らつな)書き口で読ませる。何よりも驚くのは、「意識とは何か」「人間は特別な存在か」という哲学的な話題もふんだんに盛り込まれているところにある。一流の学者って、ここまで哲学的なのかと感心させられる。
 日本と米国の違いも感じさせられる本である(筆者は、日本への対抗意識を本書で隠していない。ホンダのロボット研究所を訪れた際の非礼は確かにひどい)。えてしてコンマ以下の性能/精度の向上に血道をあげる日本に比べて、米国は発想の転換でそれを大またで抜き去っていく。例えばブルックスの発想の転換は、「サブサンプション・アーキテクチャ(包摂アーキテクチャ)」もそれに該当する。これは、従来のロボットのような膨大な計算をせずに、反射的な行動(思考に寄らない知覚をそのまま行動に移す)を並列的に計算する方式である。つまりAIで伝統的に「知能」と考えられていた処理をいっさいやめてロボットを構成する。簡単な計算だけで、複雑な環境でうまく動作できることを筆者は証明したのである。
 筆者のブッルクスが言いたい事は、本の一番最後に登場するフレーズ「人間とロボットの境界が消滅する」に表れている。そのためには、「未知の計算プロセス(新物質)」の発見が不可欠と主張している。もう一つの大きな主張は、人間はけっして特別な存在ではないという考え方である。筆者はこうつづる。「人間は機械でありしかも感情をもつ。そして機械も感情を持ちうるし、意識も持ちうる」「そして人間よりも知的なロボットは実現できる」。

 

ユダの福音書を追え
ハーバート・クロスニー著、日経ナショナル・ジオグラフィック、p.389、\1900

2006.5.10

 古代のロマンを扱うこの手の本はつい買ってしまう。死海文書関連など、読まずにツン読になっている本も多いが、本書は連休を使って一気に読み終えた。緊急出版風(ナショナル・ジオグラフィック本誌の特集号とほぼ同時期に出版された)だが、翻訳はしっかりしていて読みやすいおかげだ。少し苦言を呈すれば、途中で時系列が前後して少し戸惑うところがあるくらい。ちなみに本書の売れ行きはなかなかよくて、すでに3刷りに入っているという。
  本書はユダの福音書の中身ではなく、その写本がエジプトの砂漠で発見され、数奇な運命をたどりながら解読に至るまでの経緯を追っている。帯には「1700年前の禁断の書『ユダの福音書』に記されたイエス最期の日々」とあるが、ウソではないが、これは少々ミスリーディング気味。確かにユダの福音書の内容に触れた部分もあるが、全体を見ると多くない。中心はあくまで発見・盗難・復元・解読のプロセスを丹念に追ったところ。人間の醜さ、愚かさ、欲深さを浮き彫りにしており、読み応えがある。ちなみにAmazon.comの書評を見ると、ユダの福音書の翻訳もまもなく出るようなので、これまた楽しみである。

 

【日本の現代】武道に生きる
松原隆一郎、NTT出版、p.277、p.2300

2006.5.5

 筆者は社会経済学者の松原隆一郎。テレビなどでコメンテータを務めているので、ご存知の方も多いだろう。でも、その松原がなぜ武道の本なのだろうか。何となくミスマッチを感じながら読み始めた書である。
 本書は大きく三つのセクションに分かれる。(1)伝統武道がいかに形成されていったかを、講道館柔道や大日本武徳会を中心に紹介、(2)武道はいかに現代化され、維持されているかを追跡、最後に(3)自らの武道体験を語るとともに、武道家たちへのアンケート&インタビューでそのモチベーションを探る、である。読み進んでいっても、「なぜ松原が武道本?」という違和感は残り続ける。松原自身が柔道や空手(空道)で修行をしていることは分かるし、武道関連の内容もしっかりしているが、切り口がなかなか伝わってこない。「社交」としての武道という位置づけが強調されてはいるが、あくまでもワン・オブ・ゼムといった感は否めない。
 もっとも、書籍にいちいち切り口を求めるというのは職業病なのかもしれない。単純にエンタテインメントとして読めば、薀蓄の塊のような本書は十分に楽しめる。講道館をはじめとする伝統的武道の閉鎖性、国際感覚の欠如など、考えさせられるところも多い。格闘技ブームにわく日本における武道のこれまでと今後を知るうえで、よくまとまった良書といえる。

 

「うつ」かもしれない:死に至る病とどう闘うか
磯部潮、光文社新書、p.220、\700

2006.5.1

 「うつ」専門医による啓蒙書。著者には、「人格障害かもしれない」「発達障害かもしれない」という、いかにも“売れ線”路線の著書もある。
 うつは管理職にとって、もはや避けては通れない問題。しっかり対処の仕方を学ぶ必要がある。ただ深刻な話題を扱っている割には、筆者の書き口は妙に醒めている。突き放しているとも受け取れる。本書は「死」「自殺」を前面に出した“うつ”の啓蒙書だが、筆者の書き口に助けられている面がある。よく言われている「うつは心のカゼ」は間違いと主張するなど、読者を引き付ける勘所は心得ている。
 本書は六つの章からなる。第1章:「うつ」とはなにか、第2章:長期化する「うつ」、第3章:「うつ」と区別が難しい病気を知る、第4章:「うつ」の治療、第5章:「うつ」による自殺、第6章:なぜ自殺を選択するかである。中核となる主張は大きく三つ。(1)うつは死に至る病である、(2)うつは長期化、再発するケースも多い、(3)時には、うつの人を励ますことも必要、である。一般的に言われていることに反する主張もあるが、きちんと納得させられる。

 

2006年4月

「みんなの意見」は案外正しい
ジェームズ・スロウィッキー、小高尚子訳、角川書店、p.286、\1600

2006.4.29

 今度Sun MicrosystemsのCEOに就任するJonathan Schwartzが自身のブログで「Recommended Reading」と書いていた本。さっそく原書を購入。よくあることだが、読まないうちに翻訳が出てしまった。Schwartzはこう書いていた。「It's a quick read, quite good.Once you've read that, this is interesting reading, too」。確かに読みやすい上に、なかなか興味深い本である。本の帯にはティッピング・ポイントの著者の「これは世界観を180度ひっくり返すような本だ」というコメントはあるが、これはちょっと言いすぎ・・・。
 本書は要するに、一般人の考えを集めた結果には集団の知恵が反映する。したがってその判断は、正しいことが多いというもの。Googleの検索技術が事例の一つである。ここで重要なのは多様性。多様性こそが正しい結果を生む源泉となっている。筆者は集団が賢明な判断を下す条件として、「多様性」「独立性」「分散性」を挙げる。インターネットの時代の空気にマッチした本といえる。
 本書の背景にあるのは、ベスト・エフォートという考え方だろう。道を極めるのではなく、ほどほどで切り上げて、後は多くのユーザーの要望を吸い上げてニーズに応えていく手法。これこそが、最適な道にたどり着く早道で“今的”というわけだ。道を究めることに重点を置く日本的な手法とはかなり異なる(だからITの時代になって、米国のスピードに歯が立たなくなった)。
 著者はこうも指摘する。「システムの成功は、どれが敗者かをはっきりさせて速やかに淘汰する能力にかかっている。大量の敗者を輩出できる能力の有無がシステムの成功の鍵を握る」と。まさに米国システムである。
 本書が強調するもう一つの視点は、違うスキルを持った人が数人加わることで、集団のパフォーマンスは向上するというもの。組織に新しいメンバーを入れることは、その人に経験も能力も欠けていても、より優れた集団を生み出す力になる。古参のメンバー全員が知っていることと、新しいメンバーが知っているわずかなことが重複しないことが重要だというわけだ。例として取り上げるのがNASA。さまざまな職業を経由した人間の集まりだったアポロ計画のチームの方が、現在のNASAよりもうまくトラブルに対応できる理由を多様性に求める。巷間言われるように、会社が大きくなり著名大学の出身者が集まり始めると落ち目になるというのと、根は同じなのかもしれない。

 

メディアと倫理:画面は慈悲なき世界を救済できるか
和田伸一郎、NTT出版、p.201、\2300

2006.4.26

 テレビ、映画、インターネットを題材にしたメディア論。「インターネットでなぜ人はかくも卑劣になれるのか」「慈悲なきメディアとしてのテレビ:なぜテレビ画面には不幸な出来事ばかりが映し出されるのか」「映画は見るものを救済する:なぜ映画の画面だけが人間の幸福を映し出すことができるのか」といった内容で構成されている。
  議論の中心は、メディアと「退きこもること」との連関。「画面メディア」が退きこもりを誘発したのではなく、逆に世界からの逃避運動と一体になった退きこもりが画面メディアを必要としたという論点である。そこそこ面白い視点を提供しようという試みや意欲が感じられる書である。ただし言葉に力が感じられない。議論が上滑りしていて、ドンと旨に響く力強さに欠ける点が残念である。

 

編集長を出せ!「噂の真相」クレーム対応の舞台裏
岡留安則、ソフトバンク新書、p.255、\700

2006.4.23

 身につまされるようなタイトルに誘われて購入した本。ソフトバンクが新書市場に参入したということも興味深くて、つい手に入れた。筆者は「噂の真相」の発行人兼編集長として創刊以来25年活躍した有名人だ。いまは沖縄で悠々自適だが、かつての思い出をトラブルを中心に描いたのが本書である。
 ただしタイトルと内容に差がある。タイトルから感じるのは、トラブルシューティングのハウツー本だが、実際には「噂の真相」で関わった政治家・ジャーナリスト・芸能人・作家の人物評やゴシップが中心だし、そこが面白い。実名で辛らつな批評が加えてあるところも意味痛快である(なぜかイニシャルの人もいるが、容易に推察可能なものも多い)。いずれにせよ気楽な本なので、時間つぶしに向く本といえる。
 ちなみに本書に出てくるトラブルシューティングの要諦は「対話」。あまりにありきたりで参考にならない。

 

イノベーションの収益化〜技術経営の課題と分析
榊原清則、有斐閣、p.275、\3600

推薦!2006.4.20

 2005年に本欄で取り上げた、三品和広「戦略不全の論理:慢性的な低収益の病からどう抜け出すか」と同系統の書。アカデミックな要素が多い本だが、事例分析が充実しており読み応えがある。優れた技術に見合う利益があがらない、研究開発への投資が収益につながらないという日本企業の抱える課題を見据え、今後の方策を提案している。両方の書とも優れているが、事例研究の秀抜さで本書に軍配があがる。
 事例としてキヤノンと米インテルを取り上げる。なぜかキヤノンよりもインテルの分析の方が内部に食い込んでいる。ただしキヤノンに関しては、オープンになっている情報を非常にうまく料理しており、過去の成功に拘泥しないキヤノンの柔軟性を浮き彫りにしている。
 面白いのは、コンピュータ(ハード、ソフト)と半導体の分野では、研究開発費と株主の得た利回りとはマイナスの相関があるという指摘。これらの産業に新製品やイノベーションをもたらすのは、他の企業からライセンス供与された技術や企業買収ということになる。端的な例はデルだろう。
 日本企業の問題として、市場のハイエンドで求められる性能を超えても技術開発を進める点を挙げる。競争力の陶冶に不断に取り組む、日本のモノ作り系優良企業の陥りやすい罠だと指摘する。全体を見ない「閉鎖的」「内向き」「自前主義」という日本企業の性向が生む部分最適が、企業を死に至らしめるというわけだ。もう一つ指摘するのが、やがて良いことが起こるという偶発性に過度に期待する、日本企業のセレンディピティ(serendipity)である。要するに誰も旗を振らない、誰も責任をとらない無責任体質ということだ。

 

99.9%は仮説〜思いこみで判断しないための考え方
竹内薫、光文社新書、p.254、\700

2006.4.17

 気軽に科学の面白さを味わえる本。新書らしい本といえる。こうしたサイエンス本が売れるのはとても嬉しい。一般にサイエンス分野は日米で雑誌事情が大きく異なる。実利的な指向の強い日本に対し、米国は科学技術に対する情報ニーズが非常に高い。それだけに、本書がベストセラーというのはちょっと意外である。   成功の要因の一つは構成に工夫を凝らしているところにある。「飛行機はなぜ飛ぶのか? 実はよく分かっていない」という導入部はなかなかうまい。筆者が後半部で語っているように、「飛行機うんぬん」は若干飛ばした書き方だが読者を引き付ける効果は高い。このほか、「伝達物質と考えられていたエーテルの否定がアインシュタインの相対性理論を待たなければならなかった」といった逸話が満載で、読んでいて楽しい。ただし、前半飛ばしすぎたせいか、後半部は若干息切れしているが・・・。
本書では「科学はすべて近似にすぎない」「科学は神話に近い」といった言葉が紹介されており興味深い。そういえば養老孟司に「科学的であるとは反証される曖昧さが残っていることを認識するところにある」、アーサー・C・クラークに「科学者が可能と言明したことはほとんど間違いなく正しい。不可能だと言ったときは、非常に高い確率で間違っている」といった言葉があるが、それを実感させられる良書である。

 

ヒルズ黙示録:検証・ライブドア
大鹿靖明、朝日新聞社、\1500、p.346

推薦!2006.4.16

 フジテレビ(ニッポン放送)対ライブドアの争いから、堀江ライブドア社長の逮捕までを扱ったノンフィクション。短期間で上梓された割には良く出来ている。第一回の公判前というタイミングもよい。新聞やテレビ、週刊誌からはうかがい知れないライブドア事件の一面を知るのにはぴったりの本である。複雑に絡まった糸を、一つひとつほぐしていく過程はなかなか読ませる。意外な伏線があったりする。一読をお奨めする。   筆者は朝日新聞記者で、現在はアエラ編集部に属する。時代の寵児として、マスコミに大いに持ち上げられたライブドアとは何だったのかを、堀江とその周辺を中心への独自取材を通して丹念に追っている。へ〜っと思うような事実も数多く出てくる。お奨めなのは、新聞などのマスコミ(アエラも含まれる)の作り上げた「ワル」としてのライブドアのイメージの裏側にあるものを明確にするとともに、時代の道徳規範を破壊し新たな規範への先導役(いわゆるトリックスター)としての側面を浮き彫りにしている点。とりわけ、ライブドアへの国策捜査的な側面をあぶりだしているところが興味深い。   ライブドアが挑んだのは、旧世代が作り上げた魑魅魍魎の世界というのがよく分かる。ライブドアはその世界に徒手空拳で挑みつつ、翻弄されながらも反抗を試みる。そして最後(?)は、国策捜査的な手入れによって崩壊する。本書の描くのはそういった世界である。筆者はライブドアの若者たちに批判的な目を向けつつも、糖尿病体質の大企業に一撃を与えたトリックスターとしての存在に一定の評価を与えている。社内政治に長けただけで、何の矜持もないトップに対する筆者の目は厳しい。

組込みソフトエンジニアを極める
酒井由夫、日経BP社、\2800、p.291

2006.4.12

 本書を読んで思うのは、「組込みエンジニアを極める」のは大変ということ。実は類似の書名の本に、評者が関係した「SEを極める」がある。評者の見るところ、当たり前のことを当たり前にできるかどうかが重要なのがSE。一方の組込みソフト開発は技術面でのハードルが高い気がする。本書を読みこなすには、そこそこのハードの知識が不可欠である。とりわけ「割り込み」を知らないと読みこなすのは容易ではない。ハードの知識のない新入社員では歯が立たないだろう(少なくともソフト系の大学生だった評者は、新入社員のときに割り込みを知らなかった)。   本書の特徴に、現場感覚がいかんなく出ていることがある。空理空論に陥ることなく、読み応えがある。初歩を脱した技術者が組込みソフト開発をざっと概観するのに向く。組込みソフト開発は今、品質・納期・コストの面で多くの課題を抱えている。課題解消への歩みはけっして早くないが、本書のような試みが積み重なって、気がついたら「ずいぶん変わったな」と思うようになるのかもしれない。

 

標的は11人:モサド暗殺チームの記録
ジョージ・ジョナス、新庄哲夫・訳、新潮文庫、\705、p.405

2006.4.9

 スピルバーグの映画「ミュンヘン」の原作とされる書。ミュンヘン・オリンピックで、PLO過激派がイスラエル選手団の一部を虐殺した事件はよく覚えている。この事件に対してイスラエルの情報機関モサドは暗殺チームを結成し、アラブのテロリストを暗殺していく。筆者は脚本家でジャーナリストだが、イスラエルの作戦に参加したメンバーの話を基にノンフィクションに仕立て上げた。実に面白い本である、翻訳もよく一気に読める。映画を見たくなる本である。

 

「ニート」って言うな!
本田由紀、内藤朝雄、後藤和智、光文社新書、\800、p.310

2006.4.3

 本欄で以前取り上げた『多元化する「能力」と日本社会』(NTT出版)で、切れ味鋭い持論を展開した本田由紀氏の新書。期待を裏切らない内容で、面白く、スリリングですらある。共著者の内藤朝雄と後藤和智も本田に負けず劣らず刺激的に議論を転回する。反面、内藤や後藤の論考については言葉や議論が乱暴なところも見受けられる。その面で、好き嫌いの分かれるところだろう。
 本書の背景には、帯にも書いてあるが、「ニート」=「ひきこもり」といったネガティブなイメージが誤って流布していることへの危機感がある。「働く意欲がない若者」というマスコミが煽っている「ニート」の層は実は増えていないことを数字で裏付ける。増えているのは若年失業者とフリーター。ところが誤ったイメージが誤った労働政策や若年労働市場対策につながったと主張する。
 現在の日本で流布するニートは、デマとまで言う。ニートの流行は、それで名を売ったデマゴーク(ニート利権にむらがる輩)たちを含め、くだらないあぶくのような存在であり、しばらくすると消えて、別のイメージ商品に変わる。デマゴークたちも話題を変えていくというのが著者の一人・内藤の見立てである。
 本書は、優れたマスコミ論にもなっている。予定調和的で、一方向にどんどん偏るマスメディアの問題点を鋭くえぐっている。日本のマスコミの子どもっぽさや、頭だけで考え、現場に根ざさない弱さを指摘する。

 

2006年3月

技術者発想を捨てろ!:実践的MOTでキャリアが変わる
永田秀昭(監修)、大阪ガス実践的MOT研究会(著)、ダイヤモンド社、\1600、p.242

2006.3.31

どこかの書店のベストセラーになっていた本。うたい文句は、「大企業病にかかった技術者たちに勇気と希望を与える一冊」である。確かに、けっして悪い本ではないが、ベストセラーになるほどとは思えないという読後の感想である。
 技術セクションから営業職場に出た技術者の成功物語といった形をとる。要するにお客の視点をもった技術者になれというのが本書の主張。NIH(not invented here)や「90%の達成率でも、10%の問題点を探す」「何が出来るかよりも、箱の中身を語りたがる」という技術者の性癖からの脱却を促している。
 本書は、技術者の発想を変える「6つの法則」を取り上げる。@技術者は、人に誇れるコア技術をもて、A「技術のロマン」に「ビジネスのロマン」を重ね合わせろ、B技術者の工程表を疑え、Cドリームパワリングを発揮しろ、D技術者は奥の院から外に出よ、E戦うためのツール「プレゼンテーション力」を磨け、である。

 

乱気流時代の経営
P.f.ドラッカー、上田惇生訳、ダイヤモンド社、p.318、\1600

2006.3.25

 久しぶりのドラッカー。日本版は96年6月6日初版だが、原書は1980年に出版された。4半世紀以上も前に書かれた本だとは思えない内容である。   ドラッカーの洞察力の凄さを十分堪能できる。現在は絶版になっているようだが、古本で購入するだけの価値は十分にある(本書はたまたまAmazonで新品を手に入れた)。  示唆に富む内容がてんこ盛りだ。「これからの時代は、社会的にも技術的にも、構造変化とイノベーションの時代となる」「情報と制御の機能が、機械に組み込まれていく」 「変化に対する抵抗は、変化のコストは上げはしても、変化のスピードを落としはしない。変化に対する抵抗の結果として、経済のリーダーシップは古い国から新しい国へ、  古い産業から新しい産業へと移っていくかもしれない」などなど、本当に感心させられる。  ただし、技術についての見方は時代を感じさせられる。「第2次世界大戦後の25年間、絶えず言われてきたことは「技術変化の加速化」だった。しかし大筋において大きな誤りだった。  加速したのは技術に関する認識の変化だった。技術の変化そのものは、まったく加速化していない。むしろ減速したとすらといえる」「1947年から75年の間には、  1856年から第一次世界大戦にいたる60年間の技術変化に匹敵するようなものは、ほとんど何もなかった。60年には新産業に結びつくような技術が、平均して14カ月から18カ月ごとに生まれていた。  1947年から75年までを見ると、本当の新産業はわずか二つしか起こってない。コンピュータと合成医薬品くらいだ」。さてドラッカーは生前、インターネット革命/Google革命をどのように評価していたのだろうか・・・。

 

さおだけ屋はなぜ潰れないのか?〜身近な疑問から始める会計学
山田真哉、光文社新書、\700、p.216

2006.3.15

 最近は昼食時に新書本を携帯し、コツコツと毎日読んでいる。それもあって、新書本の書評が多くなっている。最近は新書に魅力的なタイトルのものが多いので、選ぶのを迷うほどである。その分、普通の単行本が売れなくなってしまう。それはそれで残念だ。
 本書の帯には130万部とある。その大ベストセラーを、まさに“今さら”ながら読んだのだが、そこそこの満足感が得られる本である。本書は会計の基礎が1時間でわかるというのが売り物になっている。確かに秀抜な題材を選んで、会計的な考え方を説明しており、分かりやすい本である。“会計”といって身構えるところはまったくない。
 それにしても130万部とは驚きである。ネーミングの勝ちで、正直なところ中身にはネーミングほどの驚きはない。日本人の勉強好き、入門書好きが大ベストセラーに大いに貢献しているといえる。

 

ウルトラ・ダラー
手嶋龍一、新潮社、\1500、p.334

2006.3.11

 NHKのワシントン支局長だった手嶋龍一の初めての小説。筆者のメームバリューもあって、新聞広告や書店での扱いは大きい。ドキュメンタリ・タッチの小説になっていて、結構、楽しめる。
 広告の帯には、「現実は、物語に予言されていた」とある。今話題の偽ドル札を軸にしており、確かに時流に乗っている。北朝鮮の拉致事件、米英の諜報、そして中国と、数々の外交問題を織り込んだ絢爛豪華な小説に仕上がっている。小説そのものを味わうよりも、現実の日本外交と照らし合わせながら、その背景の謎解きを楽しむべき本だろう。
 ちなみに前にも書いた阿部重夫が自身のブログで、『「ウルトラ・ダラー」を100倍楽しむ』を連載して援護射撃を行っている。ちなみに阿部は、創刊する新雑誌「FACTA」の見本誌で手嶋と対談しているし、取材も受けているので、ある意味でインサイダーともいえる。この「メイキング・オブ・ウルトラ・ダラー」を読んでから小説を手に取るか、先に小説を読むのか正解なのか、ちょっと判断が難しいが、評者は後者をお奨めする。

 

ウェブ進化論−−本当の大変化はこれから始まる
梅田望夫、ちくま新書、\740、p.249

2006.3.6

 ベストセラーのランキング1位になっている書。それほど万人受けする本とは思えないだけに、少々意外である。著者の梅田望夫はコンサルタントで、インターネットの世界ではつとに有名な人物。CNET日本版に長らく寄稿していたし、現在でも自身のブログで情報発信している。評者もファンの一人である。インターネット世界で著名なところも、本が売れた原因の一つだろう。
 本書は梅田がブログなどで述べていたことをまとめたもの。インターネットの世界で起きている“Google現象”を実にうまくまとめている。Googleのどこが凄いのか、今までと何が違うのか、これからどうなるかといった疑問に、新書らしく簡潔にして、的確に答えている。インターネットで起こっている事象を、ざっと知るには向いている本である。とにかくシリコンバレーに居を構える梅田らしく、技術と未来に対する楽観性にあふれている。
 ただし、うまくまとまり過ぎている感もある。コンサルタントとしての手際があまりにもよく、逆に物足りない気分にさせられる。あまりにキレイに分類されていることもあり、実にデジタルっぽい。生身の人間の匂いがしない。言っていることは正しいが、どうも表層をなぞっているだけではないかという気分にさせられる(新書という形態を考えるとピタリ合っているのだが・・・)。結局、この程度の分析では米国追従しか生まれないのではないか。自らルールを決め、時代をリードするような企業は生まれそうにない。
 この本に関しては、インターネット(ブログ)の世界にヨイショの感想文が多く出ている。こうした状況の中で、ジャーナリスティックに斜に構えて書評しているのが、日経新聞出身(日経BP社にも在籍)で選択前編集長の阿部重夫である。梅田の単純な二分思考の問題点を指摘している。しかも梅田が大いに持ち上げているGoogleに、このところ変調の兆しが出ていることも阿部を後押ししている。確かにGoogleは失点続きだし、普通の会社になる様相を見せている。最初の正念場かもしれない。
 いずれにせよ、本書を読むのなら、バランスをとる意味でも西垣の「情報学的転回」も合わせて読むことをお奨めする。

 

情報学的転回〜IT社会のゆくえ
西垣通、春秋社、\1800、p.247

2006.3.5

 並行して読んでいる梅田望夫の「ウェブ進化論」と対極をなす書。西垣の本は何冊か読んでいるが、正直なところあまり印象に残っていない。今回は、対照的な2冊を同時に読んだせいか、ちょっと見直した。
 本書で西垣は、IT社会の表面的な現象に引きずられず、何とか根底に流れるものを突き止めようとしている。ちょっと時代が変化したら使い物にならなくなる類の“分析”ではなく、もっと根源的な、人間の生存を支える、あるいは根本的な生きる力を支えるような知識の獲得を目指している(完全に成功しているとは思えないが・・・)。例えば、Google(直接は出てこない)がもつ視点の由来はどこかを問いかけている。Gogleを生む視点の由来、そして日本人に欠けている感性は何かを問いかける。
 とにかく梅田とは対極で、ITに対する懐疑や違和感が語られている。IT文明の中にある一神教的あるいは進歩主義的な世界観、ITの技術面とビジネス面に心を奪われるあまり、思想的文脈を忘れている、一神教的な進歩思想を根底から批判するだけの論理を模索すべき、といったフレーズが並び、示唆の多い書に出来上がっている。

 

2006年2月

武士道
新渡戸稲造、奈良本辰也訳・解説、三笠書房、\495、p.244

2006.2.28

 藤原正彦「国家の品格」に影響を受けて買った書。副題として、「人に勝ち、自分に克つ強靭な精神力を鍛える」とある。三笠書房らしい副題だが、浮いた感じが本書に似つかわしくない。
 1898年に新渡戸稲造が米国滞在中に英語で書いた本。米国でベストセラーになったという。本書は奈良本辰也の翻訳のよさもあって古さをあまり感じさせない(岩波文庫には矢内原忠雄の翻訳の有名な文庫がある)。金権に対するコメントなど、現代性を備えている。もちろん100年あまり前という時代を感じさせられる記述もあるが、ほんとんどは読んでいてすんなり腑に落ちる、琴線に触れる良書である。一読をお薦めする。
 内容の一部を紹介すれば、「武士道は知識のための知識を軽視した」「知識は本来、目的ではなく、知恵を得るための手段である」「武士道がむやみに争わず、あえてあらがわない忍耐強さの極地に達した」「人は咎むとも咎めじ、人は怒るとも怒らじ、怒りと欲を棄ててこそ常に心は楽しめ」「佞臣:無節操なへつらいをもって主君の機嫌をとる者」「寵臣:奴隷のごとき追従の手段を弄して主君の意を迎えようとするもの」「必要とされたのは品性を高めること、すぐにそれと分かる思慮、知性、雄弁は第二義的なもの」などなど。

 

黒田清、記者魂は死なず
有須和也、河出書房新社、p.347、\1900

2006.2.24

 大阪読売新聞の社会部長で、黒田軍団を率いた黒田清の人生を追った書。黒田は読売退社後(渡辺恒雄との確執は有名)はテレビに出ていたが、神戸淡路大震災のときの取材は印象に残る。ジャーナリズムとは何なのかを改めて考えさせられる本である。しかし黒田が死んで5年もたっているとは意外だった。
 “しびれる”言葉がいくつか出てくる。「報道とは伝えることやない。訴えることや」「固有名詞のない記事は書くな、呼吸していない記事は書くな」というのは心に響く。ジャーナリストのW.リップマンが著書『世論』のなかで語っている言葉が頭に浮かぶ。「ニュースと真実は違う。ニュースのはたらきの一つは事件の存在を合図すること。真実のはたらきは隠されている諸事実に光をあて、相互に関連づけ、人びとがそれを拠りどころとして行動できるような現実の姿を描き出すこと」。まさに、黒田のジャーナリスト感そのものである。
 黒田は、タテ社会ではなくヨコ社会でもなく、「マル社会」を理想に掲げたという。タテ社会では窮屈でものが言えない。権力をかさに上の者が下の者を差別する。ヨコ社会では中心から離れるほど存在が希薄になる。端の方にいる社会的弱者は差別され切り落とされてしまう。マルならすべて等距離という訳だ。威張る奴、下品な奴(卑な奴)、権力をふりかざす奴を本能的に嫌悪する、いかにも大阪人らしい考え方である。

 

封印される不平等
橘木俊詔編著、苅谷剛彦、斎藤貴男、佐藤俊樹、東洋経済新報社、p.232、\1800

2006.2.22

 いま話題の「不平等」を扱った書。本書評でも、苅谷以外の筆者の書籍は紹介している。本書には、橘木俊詔と苅谷剛彦、斎藤貴男、佐藤俊樹の座談会のほか、橘木の論文が収録されている。座談会が出色の出来である。橘木の論文は、それに比べると少し弱い感じがする。
 本書によると、日本では職業における機会の不平等が一番下がったのが1980年代前半。ところが同時期の英国に比べて大差がなかった。つまり、1980年代前半でも、日本は大して平等だった訳ではないという。この手の話になると、やたら統計的なデータが登場する。統計的な数字は都合よく解釈される可能性もあるので全幅の信頼は置けないものの、日本社会の不平等化は我々の直感に響くところがあるもの事実である。
 「子どもの主体性を重視する教育は、不平等に対して家庭環境の影響が出やすい」や「高校生の勉強時間は親の学歴とか職業で異なる」という見方はそうかなと思わせるところがある。もっとも、機会の平等に対する憎悪に近い感情やある種の「鈍さ」がある既存の権力層に、この状況の変革を期待するのは少々無理がありそうだ。何せ、自分の地位を自己正当化しないためには、一人ひとりに芯の強さが必要だからだ。こんな品格が権力層にあるだろうか・・・・

 

The Man Behind The Microchip〜Robert Noyce and The Invention of Silicon Valley
Leslie Berlin、Oxford University Press、p.402、$30

2006.2.18

 米Intelの創設者の一人、Robert Noyceの初めて(?)の評伝。家庭のこと、離婚のことなども含めて、優れた技術者であり経営者だったNoyceの人生を丹念に追っている。とても長い上に、文字が小さいので読むのに時間がかかるが、それだけの価値はある。ただし読みこなすには、ある程度の専門知識が必要になる(読み飛ばしても全体に何の影響もないが)。ちなみに表紙は、いかにも意志の強そうなNoyceの後ろにシリコンバレーの遠景が見えるという構図でなかなか魅力的である。
 本書は、半導体が熱かった時代の物語である。Noyce、Moore、Grove、Sporck、Sanders、Kilby、Schockley・・・。懐かしい名前がずらりと並ぶ。Intelを創設して大成功をおさめたNoyceだが、技術者としても輝かしい実績をあげている。たとえばICの発明者である。ICの発明者としては、(特許係争の絡みもあって)日本ではKilbyが有名だが正しくはNoyce。エサキダイオードと同じ効果を発見したのも、実は江崎よりもNoyceが早かった。ところが江崎とKilbyがノーベル賞を受賞したのに、Noyceは縁がなかったところに、ある種の悲劇性を感じる。
 固辞したのに最後は引き受けたSEMATECHの話もちょっと悲劇的である。結局はSEMATECHでのストレスが死期を早めたのは間違いないところだろう(著者もそう主張する)。本書の後半はSEMATECHをはじめ半導体業界の動きが中心となって、Noyce自身への突込みが弱いところが見受けられて少し残念。もう一つ気のなるのは、日本に対してフェアでない記述が散見されるところ。たとえばマイクロプロセッサの発明者がHoff一人になっている。嶋正利氏はたった1回しか登場しない。
 最も印象に残ったのは、政府が育成したい特定の産業に注力する日本のやり方に対し、「米国政府はあらゆる企業家を支援すべき」というNoyceの言葉。海のものとも山のものとも分からない中からGoogleのような企業が誕生する背景を垣間見る感じがする。時間がなければ、本書の冒頭と最後の一段落ずつを読むだけでも価値があるかもしれない。そこには、JobsとGoogleの創設者、そしてNoyceが登場する。シリコンバレーというか米国の底力を感じさせられるシーンである。

 

会社は誰のものか
吉田望、新潮新書、p.192、\680

2006.2.11

 岩井克人「会社はだれのものか」とそっくりの題名の本。奥付を見ると、ほぼ同時期にこの2冊の本は上梓されている(正確には本書のほうが5日早い)。学術的な岩井の本に比べると、電通出身でスカイマークエアラインズの役員を務める著者の手になる本書の方がぐっと具体的に読みやすい。本人も保守と認めているが、トーン的には藤原正彦「国家の品格」に通じるところがある。最終的な結論は、会社を食い物にする「蛸配」を求めるような「志なき株主」「経営者」はいらないというところに落ち着く。
 「会社は誰のものか」は本書の主題であるが、ユニークなのは人物評とネット企業に対する観察眼である。堀江貴文、西久保愼一、三木谷浩、宇野康秀、西和彦、孫正義などの人物評は短いものだが読み応えがある。ライブドアの問題が起こるずっと前に、堀江の今を予感させる評価を下している部分(かなり慎重な書き方で、どうにでも取れる表現を使っているが・・・)や、USENに対する辛らつな筆致など読ませる部分が多い。マスコミの経営に対する指摘も実に手厳しい。
 ちなみに筆者の吉田は、「戦艦大和ノ最期」を著した吉田満の息子である。

 

東京奇譚集
村上春樹、新潮社、p.210、\1400

2006.2.5

 村上春樹はひいきの小説家の一人。本書は昨年秋に出た本で、会話がゆっくり進む小品5編を集めている短編集である。ゆったりした気分にさせられる。ちなみに奇譚とは、帯の説明によれば「不思議な、あやしい、ありそうな話」の意なので、それなりの緊張感はあるのだが、やはり“まったり感”の方が前面に出ている。気分を入れ替えたいときに向く本といえる。安らかな気分で寝入りたいときには向くかもしれない。

 

考えないヒト〜ケータイ依存で退化した日本人
正高信男、中公新書、p.196、\700

2006.2.3

 以前、この欄で紹介した「ケータイをもったサル」の著者の第2弾。著者は京都大学霊長類研究所教授のサル学者である。前作はユニークな持論が展開されていて、なかなか読み応えがあったと記憶するが、本書はちょっと?と疑問符がつくというのが印象である。
 言わんとしていることは興味深く重要だし、着眼も悪くないように思うのだが、どうも今回は説得力に欠ける。帯には「ケータイを持ったサル〜その後の彼らは」とあるが、「その後」の部分が少し弱い。柳の下に二匹目をねらったが、必ずしもその狙いは成功していないようである。
 とにかく読んでいて、どうもすっきり腑に落ちないところがある(読み方も悪いのだろうが・・・)。牽強付会というか、話題を呼んだ前作に引きずられた結果として、話の展開に無理があるのが一つの要因だろう。持論に誘い込むために言葉を重ねるのだが、なかなかスイートスポットに当たらないもどかしさが読んでいて伝わってきてしまう。書くのに苦労したのだろうな〜・・・。もう一つ、「日本人の特異性」にこだわり過ぎるところも少々引っかかる。

 

週刊誌風雲録
高橋呉郎、文春新書、p.244、\760

2006.2.1

 週刊朝日の発行部数が150万部もあったとは・・・。週刊誌が熱かった時代の経営者・編集者・記者群像を描いた書。週刊朝日、週刊新潮、週刊文春、週刊明星、女性自身、アサヒ芸能といった週刊誌の生い立ちや名物編集者たちを追っている。マスコミに身を置く者として、実に興味深い書である。本の帯には「あの頃、週刊誌は若かった!」とあるが、言いえている。粗にして野だが卑ではなかった週刊誌の全盛時代を活写した書である。
 登場人物には草柳大蔵や梶山季之、児玉隆也、竹中労、齋藤十一、扇谷正造と魅力的な人物が並ぶ。魅力的な人物が、週刊誌に活気と力を与え、活字に飢えた読者が大部数を支えた構造がよく見える。
それにしても、いろいろ反省させられる本である。評者はかつて、日経コンピュータ(2002年10月7日号)の編集後記にこんな文章を書いたことがある。『「雑」という言葉がちょっと気に入っています。力強い響きがいいですし、漢字の格好も悪くないなぁと思っています。雑が入っている言葉というと、雑踏、猥雑、雑然、雑談、雑草、そして雑誌・・・。何となくグチャグチャしているけれど、しぶとく生き抜くバイタリティが感じられませんか? 現場のにおいや生活感が漂う素敵な言葉でもあります。日経コンピュータは本号で誌面を刷新しました。(中略)雑誌らしい“雑”の感じを出すように努めました。雑誌は生き物です。読者の皆さまの要望に応え、これからも変化を続けたいと思います』

 

2006年1月

統計でウソをつく法〜数式を使わない統計学入門〜
ダレル・ハフ著、高木秀玄訳、講談社ブルーバクス、p.221、\880

2006.1.21

 先日読んだ、「「社会調査」のウソ〜リサーチ・リテラシーのすすめ」に登場していた書。タイトルも魅力的なので購入。初版は何と1968年である。改版がされていないので、最近は使わない用語が載っていたりして少々驚く。
 統計のウソに関する事例を数多く挙げているが、当然古い。古いことはさほど内容を毀損する訳ではないが、英国女性の寿命が日本の女性よりも12歳も長いという文章には笑ってしまう。「「社会調査」のウソ〜リサーチ・リテラシーのすすめ」を読めば、本書をさらに追加で読む必要はないというのが正直な感想である。

 

ウェブログの心理学
山下清美、川浦康至、川上善郎、三浦麻子、NTT出版、p.209、\2200

2006.1.19

 「人はなぜブログを書き、読むのだろうか」。実に興味深いテーマである。このテーマについて4人の社会心理学者が取り組んだ書である。内容は少々物足りない。斬新な知見がほとんどなく、ありきたりな分析が並んでいる感がある。そもそも社会心理学の章は、全5章のうち1章しか充てられていないので、ちゃんと中身を確認しなかった評者が悪いともいえるのでが・・・。肝心の第3章「ウェブログの社会心理学」も不調である。結局、付箋紙をつけるところが1箇所もなかった。期待して購入しただけにちょっと残念。
 社会心理学的な分析は今一歩、あるいは今二歩だが、ブログの歴史をざっと振り返る書としては悪くない。評者にとっては、ネット日記文化の歴史に関する記述が目新しかった。ブログ以前に日本にすでに存在していた“ネット日記文化”とその文化を生んだ特質が、日本におけるブログの興隆、米国とは異なるブログ事情につながっているという話は興味深い。米国のブログが情報型・論説型・分析型といった特徴があるのに対し、日本では自己開示型・プライベート型が目立つ理由の一端がみえる(なお、最近では優れた情報型・論説型のブログが日本でも多くなった)。
 なお本書の趣旨から考えると、「ウェブログの歩き方」「インターネット・ウェブログ関連年表」といった付録は余計だろう。

 

ローマ人の物語、ローマは一日にして成らず(上)
塩野七生、新潮文庫、p.197、\400

2006.1.17

 風呂で読む本として、今年は「ローマ人の物語」を選んだ。文庫本はすでに23巻出ているので分量は十分ある。「ローマ人の物語」の初版は1992年。単行本も何冊かが評者の本棚に並んでいる。これらの本は“一応”読んだはずなのだが、内容はもちろん塩野七生の書き口なども、全く記憶に残っていない。10数年ぶりという時の流れを感じるとともに、自らの記憶力のなさを思い知らされた。逆に言えば、新鮮に読めたということである。
 何となく読みづらい本という印象が残っていたが、とても読みやすいことに正直驚いた。予想以上の快ペースで読めてしまうので、23巻を読み終えるまで1年かからないかもしれない・・・。第1巻では、ローマ建国、7代続く王政、共和制への移行、他民族との確執(ローマの他民族との宥和政策)、さらにはギリシア文明の盛衰にも視野を広げる。歴史は面白いと思わせてくれる本である。

 

「社会調査」のウソ〜リサーチ・リテラシーのすすめ
谷岡一郎、文春新書、p.222、\690

2006.1.16

 実に面白い本である。大阪商業大学学長である著者が、巷の社会調査を縦横無尽に斬りまくっている。結論は、過半数の社会調査は“ゴミ”というもの。世間にあふれるゴミに騙されないための知恵(リテラシ)をアドバイスするのが著者の狙いである。
 なぜ社会調査がゴミと化すのかを調査の専門家の立場から論理的に説明する。実名でゴミと告発する社会調査も多く登場しており、迫力満点である。自ら作ったストーリを補強するための出来レースのような社会調査、社会調査から牽強付会な結論の誘導するマスコミ、税金で行われたにも関わらずデータを公表しない社会調査、データを隠蔽し学問の発展に寄与しようとしない学者の調査には容赦ない批判を加えている。ちなみに、調査の中には実名でないものも登場する。なぜ実名で出てこないのか、その閾値をどのように設定しているのかはよく分からない。
 このほか社会調査にみる日本人の特性やアンケートの回収率を高めるための手法など興味深い記述もある。読みやすい本なので2〜3時間もあれば読了できる。

 

多元化する「能力」と日本社会〜ハイパー・メリトクラシー化のなかで〜
本田由紀、NTT出版、p.286、\2300

2006.1.15

 このところ学者の書いた一般書で感心するものが少なかったが、久々に視点の新しさを感じた本。先人の論文をこねくり回すだけで、どこに目新しさがあるのか判然としない書が多い中で、(著者自身が言っているように荒削りかもしれないが)著者の意見が明確に出ているところは大いに評価できる。
 本書は、現在の日本人に求められる「ハイパー・メリトクラシー(筆者の造語)」という能力について、その内容と社会的な意味、さらには問題点(回避の方法)について論じる。ハイパー・メリトクラシーは、基礎学力といった近代社会に求められた従来型能力「メリトクラシー」を超える能力という意味で使っている。ポスト近代社会に求められる能力である。具体的には創造性、コミュニケーション能力、意欲、個性、ネットワーク形成能力を指している。
 統計データを可能な限り用いてハイパー・メリトクラシーを論じようとしているが、裏づけとしては若干弱い感じだ。ただし、統計データに対する解釈は一般的な社会通念と異なっておりとても面白い。特に少子化に関する見方はユニークである。この点だけでも読む価値があるかもしれない。
 ちなみに筆者はハイパー・メリトクラシーを礼賛している訳ではない。逆に胡散臭いものと見ている。生理的に嫌悪感を感じ、うざったく感じるとまで表現する。本書ではハイパー・メリトクラシーを無力化する手法も紹介してるので、興味のある方には読むことをお奨めする。人間に本来求められる能力を問うている点で、前回紹介した「国家の品格」(藤原正彦)に通じるところがある。

 

国家の品格
藤原正彦、新潮社、p.191、\680

2006.1.9

 正月版の日経新聞社説で取り上げられていた本。もともと本屋で何となく気になる存在だったが、社説に背中を押された格好でさっそく購入。藤原正彦というと、新田次郎と藤原ていの息子で、数学者かつエッセイストとして有名な人物である(現在はお茶の水大学教授)。評者はかつて洒脱なエッセイを読んだことがあり、さすが新田次郎の息子といった感想をもった記憶がある。
 本書を読んで驚くのは、筆者の思想信条である。藤原正彦が、これほどまでに武士道に傾倒しているとは露知らなかった。海外経験がある人間ほど日本のよさが身にしみて分かるというが、藤原もその伝だろうか・・・。本書を読んで頭に浮かぶのは、小津安二郎の映画に出てくる「品行は修正できるが、品性は直らない」というセリフである。著者は、本来品性の高潔だった日本人の堕落を大いに嘆く。品性下劣で卑怯、口先だけの小賢しい人間の跋扈する日本に警鐘を鳴らしている。論理的な正しさ見せかけている言説が、どれだけまやかしに溢れ、誠実さに欠けるかを数学者らしい筆致で説いている。本書は、講演録がベースになっているので若干散漫な感じがある。ただし趣旨は一貫しており「まやかしの資本万能主義に騙され、下品になってはいけない。米国流に倣うのは愚の骨頂。日本よ、武士道の精神に還れ」である。明には書いていないが、軽佻浮薄な日本の論壇やマスコミに対する強烈な批判になっている。
 すっかり感化されてしまい、新渡戸稲造の「武士道」を発注してしまった。「武士道」の書評はまたのお楽しみということで。

 

坂の上の雲(8)
司馬遼太郎、文芸春秋、\590、p.391

2006.1.1

 約1年をかけて読んだ「坂の上の雲」も、ついに最終巻になった。2005年中に読み終わろうと思って追い込みをかけたが、結局のところ除夜の鐘(?)を聞いてしまった。もっとも正確には鐘の音は聞こえず、汽笛と花火の音が海から聞こえている。大晦日は早々に寝てしまうことが多いので、これほどの音が夜中に響きわたっていたとは知らなかった。発見である。
 最終巻は、戦史に残る完璧な勝利といわれる日本海戦を扱う。まさにクライマックスである。司馬遼太郎の本を読むと、歴史の面白さを存分に感じさせてくれる(編集者の目からは、ちょっと引っかかる表現が多いが・・・)。事実と作家の創造がごっちゃになり、事実の正確さの問題はあるのかもしれないがワクワクするのは事実である。学校教育の欠点は日本海戦の勝敗は教えるが、中身については無関心なことだろう。例えばバルチック艦隊と日本海軍との被害の差がこれほどあったことを、多くの人は知らないのではないか。
 本書の主役である秋山好古・直之が日露戦争後にたどった歩みが、最後の方に少し述べられている。このあたりを深耕すれば魅力的な読み物ができそうである。

 

横田英史(yokota@nikkeibp.co.jp

1956年大阪生まれ。1980年京都大学工学部電気工学科卒。1982年京都大学工学研究科修了。
川崎重工業技術開発本部でのエンジニア経験を経て、1986年日経マグロウヒル(現日経BP社)に入社。
日経エレクトロニクス記者、同副編集長、BizIT(現IT Pro)編集長を経て、2001年11月日経コンピュータ編集長に就任。
2003年3月発行人を兼務。2004年11月、日経バイト発行人兼編集長。
記者時代の専門分野は、コンピュータ・アーキテクチャ、コンピュータ・ハードウエア、OS、ハードディスク装置、組み込み制御、知的財産権、環境問題など。